最初に
この記事はゲーセンを批判するものではありません。
ゲーセンは子どもにとって最高の遊び場であり、親にとっては経済や心理を学べる教材の宝庫だと思っています。
そんな場所を提供していただける業界の方にはリスペクトを持っています。
ここでは「遊び場をどう切り取れば学びになるか」を探る視点で書いています。
導入|確率機は不誠実なのか?
以前ゲームセンターのUFOキャッチャーには確率機と言われる機材があることを書きました。以下の記事です。
ゲーセンで学ぶ経済学!UFOキャッチャーの確率機と親の役割とは?
これを読むと「アームを一生懸命動かしても、結局は取れるかは店側次第か」と憤る方もいるかもしれないですね。
しかしながら簡単に確率機を悪と断罪するのは私は良くないと思っています。この記事ではゲーセンを市場主義経済と社会主義経済で読み解き、確率機が多くの人にゲーセンの楽しみを配る役割を担っていることを整理していきます。
この記事でわかること
- UFOキャッチャーの確率機は「悪」ではなく、市場を成立させる合理的な仕組みである理由
- 実力機だけの世界が辿る帰結:攻略法の拡散→難易度上昇→ライト層排除→市場縮小という可能性
- 確率機と経済システムの構造的な類似性:市場主義的格差を緩和し、社会主義的な「再分配」機能を果たす仕組み
- 情報の透明性とグレーゾーンのパラドックス:公表すれば市場が崩壊し、伏せるからこそ全員が楽しめる環境が維持される
- 「不合理こそ合理」という逆説:一見不公平に見える確率機が、結果として最も多くの人に喜びを配分する社会設計の縮図となっている
なぜ実力機だけのゲーセンは初心者を排除するのか
実力機だけの世界
確率機がなく、実力機だけでUFOキャッチャーが構成されている場合を考えてみましょう。
現代のSNSやYouTubeの広がりを考えると、「UFOキャッチャー攻略」というタグや動画が一斉に拡散することは間違いありません。実際、今でも拡散していますね。
実力だけで景品が取れる世界では、一般の人とは比較にならない確率で景品を獲得する「職人」のような人が現れることが想像できます。するとどうなるでしょうか。
以前ゲーセンの平均回帰記事(「あのゲーセンは取れやすい」は本当か?|平均回帰が暴く都市伝説)で触れましたが、運営側も利益を出さなければなりません。そのため、景品の配置をギリギリまでシビアにして対応することになるでしょう。
すると、「攻略記事→店の対応→攻略記事→店の対応」というイタチごっこが続きます。最終的に出来上がるのは、「攻略法を知っている人しか取れない」ゲーセンではないでしょうか。
私の子どももUFOキャッチャーをやりたいとよく言っていますが、月に少しだけ遊ぶ子どもでは取れない世界になってしまうと思うのです。お金と時間があって研究できる大人だけの世界です。
そんなゲーセン、果たして皆が楽しめる世界なのでしょうか?
昔はゲームとかの攻略法は人づてで、不正確なものも多かったしな。今やネットやSNSで一瞬やな。
当時は知る人ぞ知るみたいな攻略やったよな。今やYouTubeで一瞬や。そんな中で店側が利益確保しようと思ったら、難易度上げるしかないよな。
ゲーセン全部Very Hardになるかもな。
そうかもな。子供や一見さんはまず入れなくなるゲーセンの出来上がりや。さて、最終的には誰が得してる?店側も客を失い、プレイヤーもつまらなくなる。一部の職人だけが喜ぶだけやな。
対面式格闘ゲームの衰退
実はこの現象は他のゲーム領域ですでに見られます。私が小学生くらいの頃、ゲーセンは格闘ゲーム真っ盛りでした。対面に人が座る、勝ち抜きスタイルの時代です。40歳前後の人にはこの雰囲気伝わるかしら。そんな対面での格闘ゲームは、昨今のゲーセンでは全く見ることがなくなりました。
理由は諸説ありますが、要因の一つが初心者の参加ハードルの上昇です。
私も人並みに格ゲーで勝ちたい!と思ってゲーセンに行った記憶があるのですが、突如乱入されて、まぁ瞬殺ですよ(笑)。勝ち抜き台では初心者は手練れに秒でやられる。100円入れて遊べるのは一瞬ってことがある。すると、私みたいなライトプレイヤーは行かなくなり、ある程度の実力のある人しか参加できなくなる——まさに「実力だけの世界」が現実化したのです。
当時はそこで歯を食いしばってお金使って上手くなれって雰囲気だった気がしますが、そこまでできる経済力はなかったな。
市場主義経済
話をクレーンゲームに戻し、実力機だけの場合、資本主義経済に近いものがあると感じませんか?
上手な人は低コストで景品を取れ、下手な人は残念ながらほとんど取れない。お金と時間があって研究できる人は取れる、逆は取れない。格差が拡大するという点で、市場主義経済に近いところがあると思います。
過大解釈と言われればそれまでですが、このフレームの近さを感じ取っていただけないでしょうか?
なるほどなぁ。ほんまに実力主義の世界って、一見公平そうで、実は不公平やね。
せやねん。努力が報われるって言うけど、そもそも努力できる環境が人によって違うやろ?子供なんて100円数枚握りしめてゲーセン行くんや。研究とかそんなんできるわけないやん。経済もゲーセンも、実力主義一本やと「勝者総取り」になるんや。
なんか急に現実の世の中の話に聞こえてきたわ…。
確率機がUFOキャッチャーを「誰でも楽しめる」ゲームにする理由
確率機の良いところ
確率機の良いところは、上記を覆している点です。実力の有無がないわけではないのでしょうが、上手い人も下手な人も、ある程度同じような確率で取れる仕組みになっています。
もちろん上手い人はアームの調整やタイミングを見計らうなどの戦略を取っているでしょう。それでも100%取れるわけではありません。下手な人も、確率のタイミングが合えば取ることができます。
ゲーセンを見ていて思うのですが、店側が「取ってください」と言わんばかりの配置にしているのは、上手な人でも下手な人でも確率次第で取れるようにしているからでしょう。
うちの子どもでも、偶然で取れてしまうことがあります。ダメ元で渡した200円くらいで、なんか伸び縮みするボール取ってきたときは焦りました。
その時の喜ぶ顔が見られるから、私もゲーセンに子どもを連れて行くわけです。実力機だけの世界になったら、たぶん連れて行かなくなると思います。
どんだけ頑張っても確率で制御か。持ち上げたとたんアームがヒヨるんねん。一生懸命やる意味あんのかこれ。
憤るのもわかるけどな。ミクロでは確かにその通りや。ただマクロで見るとそうでもないんだよな。全体がハッピーになるには必要な仕組みやと思うで。
社会主義的な側面
ここまで読むと、確率機には社会主義経済的な側面があることが見えてきます。努力や才能にかかわらず、一定の成果を保証する仕組みです。ただし実際の経済と同様に、UFOキャッチャーを研究したり練習したりしても、取れる成果は一定のラインで頭打ちになります。そのため、モチベーションの低下につながるわけですね。
でもさ、努力してもうまくいかんのはちょっと切ないなぁ。
まぁな。でも逆に、全員がたまには勝てる方が場が長持ちするんや。経済でも「完全平等」は無理やけど、「チャンスの平等」があると活気が出る。
なるほど。子どもでもたまに景品取れたら、また行きたいってなるもんな。
確率機を公表できない理由:グレーゾーンが市場を支える構造
確率機の良い点を述べましたが、悪い点も指摘しておきたいと思います。それは、確率機であることを公表できない点です。これは私個人としては致し方ないと判断します。
だって、「このUFOキャッチャーは一定のお金を使わないとアームが強くなりません」と明記されていたら、一瞬で熱が冷めますよね。
途端に「取れるかも」という期待感から「いくらで取る」という計算へシフトします。
われわれが求めるもの、それは取る過程を楽しむこと。この視点で考えると、店側を責めることはできません。確率機なのか実力機なのか、確率機ならあとどれくらいで確率が来るのか——こういった推理を楽しむのも、ゲーセンの醍醐味だと思います。
また、実力機を公表すれば、冒頭の職人一強現象が発生します。
つまり確率機の存在を公にしないことは店側の不誠実と感じてしまいがちですが、このグレーゾーンがあることで、ゲーセンというエンターテインメントが維持されているとも捉えられるのです。経済用語で「情報の非対称性」といいますが、運営側だけが情報を持つ点で有利とも言えます。しかしこの非対称がなければ、ゲーセンが存続できないわけですね。
ただし、この情報の非対称性を利用して、利用者から搾取することだってできます。店側の倫理観が問われるわけです。
「なんだよ、全然取れない。持ち上げた途端、アームヒヨるやん!」と思ったら、「職人一強社会」を思い出してください。そして、どうせでしたら持ち上げて落ちるか落ちないか、その「いけー!!」とやっている瞬間を楽しみましょう。
確率機は社会の縮図?市場主義と再分配のバランス理論
実際の経済は、市場主義と社会主義のハイブリッドですよね。
日本は市場主義経済ですが、政府が介入し税金を集めて、生活保護や医療制度などの再分配を行いバランスを取っています。現実は完全な自由でもなく、完全な平等でもありません。累進課税なんかはまさにその典型かと思います。
世の中が完全実力・自由主義になったらどうなるでしょうか?
社会的弱者や一度失敗した人が立ち直れない世の中です。北斗の拳のような修羅の国になります。実際には再分配やセーフティネットがあるからこそ、チャレンジ精神が生まれ、経済も発展していくわけです。
国家が税金を吸い上げてそれを還元しないとどうなるか。選挙で負けるわけですね。ゲーセンだったら利用者が寄り付かなくなると。
ゲーセンも同じ構造に見えます。確率機が存在することで、上手な人も下手な人も楽しめる。そんなバランスの取れた空間が生まれているのです。
この視点で見ると、確率機は決して悪ではありません。より多くの人がゲーセンを楽しむための必要な仕組みだと私は思いますが、皆様の意見はいかがでしょうか?
確率機を不合理・不誠実と断じるのは簡単です。しかし、その不合理によって皆が楽しめる空間が作られています。まさに「不合理が合理」となる現象です。
必要なもんやったら公表してくれればいいのにな?
でも公表した途端、夢はなくなるで?皆がドキドキして、店も利益を取れて、さらにはお金を落とすことで経済が回る。こうした流れを作るには、どうしても伏せておく必要がある。そういった視点も大事やと思うで?
まとめ
- 実力機だけの世界では、情報と時間のある一部の「攻略者」だけが勝ち残り、ライト層や子どもは排除可能性がある。
- 確率機の存在は上手な人も下手な人も「たまに取れる」チャンスを共有する仕組みともとれる
- 市場主義的な格差を緩和し、社会主義的な「再分配」の役割を果たしている。
- 公表できない不透明さはあるが、それ自体が「夢」や「偶然の喜び」を支える構造でもある。
- 実際の経済と同じく、完全な自由でも完全な平等でもない「中間の仕組み」が、ゲーセンを持続させている。
- 不合理こそ合理——確率機は「遊びの再分配」を実現する、社会設計の縮図である。
ゲーセンシリーズの第3弾として、マクロ経済とゲーセンを対比させてみました。
確率機は悪のように扱われますが、その存在意義をマクロで見ると「皆が楽しみ続けられる社会の仕組み」に近いことが分かります。
ゲーセンで「ふざけんな!全然取れない!」って思うのも自然です。むしろ健全な怒りです。
でもそう思ったとき、この記事を思い出してみてください。「いや、これがガチな実力勝負になったら逆に取れなくなるか」と一呼吸置くと、怒りが少し和らぐかもしれません。
そして取れなかった分は、どこかの子どもの笑顔につながっているのかもしれませんよ。
そう思うと、少し優しい気持ちになれるのではないでしょうか。




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