動機のクラウディングアウト 原典を読むシリーズ
「お金を払うと、かえってやる気が下がる」──行動経済学で繰り返し語られるこの逆説を、原典で順に確かめていくシリーズ。前回のGneezy & Rustichini (2000) では、保育園の遅刻に罰金を入れたら逆に遅刻が増えた──という逆説現象を見ました。今回は、そもそもこの議論を最初に世に出した人物、Titmussの「献血」仮説を初めて実験で確かめた論文を読みます。
- Gneezy & Rustichini (2000)──保育園の遅刻に罰金を入れたら逆に増えた話
- Mellström & Johannesson (2008)──献血で本当にクラウディングアウトは起きるのか(本記事)
私、献血がちょっとした趣味みたいなところがありまして。数十分横になってるだけで「社会の役に立った感」が手に入って、しかもお菓子やジュースまで出てくる。お手軽にできる社会貢献としてコスパよすぎへん?と思って、たまにふらっと寄ります。
ところが──もし献血ルームの入口に「献血したら現金1,000円お渡しします」って看板が出てたらどうか。たぶん私、足が止まります。「うわ、なんかちょっと違う」と感じて、引き返してしまう気がする。
ちょっと待って。「無償なら来る人が、お金出すと来なくなる」って、それ普通の経済学に喧嘩売ってへん?値段が上がれば供給は増えるんちゃうの。
せやな。その「値段が上がれば供給が増える」っていう供給曲線の話、献血みたいな善意ベースの行動には当てはまらんのちゃうか──というのが、今回読む論文の出発点や。
ほんまにそんなこと起きるんか?
それを真正面から実験で確かめにいった、フィールド実験としてはこの論文がほぼ初めてや。しかも結果がおもろい。男と女で出方が真逆になる。
……は?
- TitmussがThe Gift Relationship (1970) で出した「献血報酬は供給を減らす」仮説の中身
- 40年以上検証されてこなかった理由と、本論文がどうそこに踏み込んだか
- 「無償」「現金SEK 50(約700円)」「現金 or 同額をチャリティ寄付」の3群で起きたこと
- 男女で結果が割れた事実と、その学術的な意味
- なぜ「寄付オプション」がクラウディングアウトを完全に打ち消したのか
- 内発的動機・不完全契約・シグナリングという3つの候補理論のうち、どれがこの結果と最も整合するか
この論文の結論(先にいいます)
全体としては「報酬で減る/寄付オプションで戻る」という方向性は出るものの、統計的な有意差なし。ただし女性に絞ると、報酬の導入で献血者が約半分に減り、寄付オプションで完全に戻ります。男性ではどの群でもほぼ変わらず。著者らはこの男女差を「女性が男性より社会的評価を気にする」と断言したわけではなく、「シグナリング理論で解釈すれば自然に読める」という留保つきの解釈に留めています。性差は事前仮説ではなかったので、確立された事実というより示唆的な観察として読むのが正しい温度です。
Titmussが投げた、40年放置された問い
今回読み解いていく原典はこちら
Mellström, C., & Johannesson, M. (2008). Crowding Out in Blood Donation: Was Titmuss Right? Journal of the European Economic Association, 6(4), 845–863.
事の発端は1970年、イギリスの社会政策研究者リチャード・ティトマスが『The Gift Relationship』という本を出した、というところから話は始まります。Titmussは「イギリスの無償献血制度とアメリカの一部有償献血制度を比較し、お金を払うと献血の供給はむしろ減る」と論じた──と紹介されています。
経済学者たちは、当然のように懐疑的だったようです。「インセンティブが効かない市場?そんなんあるか」と。ところが面白いことに、この論争は実験で決着がつかないまま、半世紀近く宙に浮いたのです。
え、なんで誰も実験せえへんかったん?
考えてみ。献血の場で「お金払う/払わへん」を無作為に振り分ける実験、どこで誰がやれる?倫理的にも実務的にもめちゃくちゃ面倒くさい。理論的には興味深い問いやけど、実際にやれる人がおらんかったんや。
やる人おらんかったから、放置されてたと。
せや。で、ようやく重い腰を上げてやったんが今回の論文や。スウェーデンの大学と地域血液センターが組んで実現させた。
実験の組み立て──3つの部屋
舞台はスウェーデン・ヨーテボリ大学のキャンパス。過去に献血経験のない学生を集め、3つに無作為に振り分けました。
- 第1(無償群)。「健康診断を受けて、献血者に登録しませんか?」と聞くだけ。報酬はなし。
- 第2(SEK 50群)。同じ問いに「もし受けてくれたらSEK 50(当時のレートで約700円)をお支払いします」
- 第3(寄付選択群)。同じく「SEK 50お支払いします」と言われた後、「ただし、もし望むなら同額を子どもがん財団に寄付することも選べます」が付け加えられる。
参加者は計262名。男性109名、女性153名。所属は商学・経済学・法学部、教育学部、医学系の3キャンパスにまたがります。参加自体への謝礼として全員にロト券(SEK 50相当)が2枚渡されました。
「献血者に登録しませんか」って、いきなり献血させるんちゃうの?
ええ質問や。スウェーデンでは献血の前にまず「健康診断」を受けなあかんルールになっとる。健康申告書と看護師の身体検査。これを受けて約1ヶ月後に「あなたは献血できます/できません」の通知が来て、できる人だけが後日改めて献血する、いう段階制や。
じゃあ今回測ったんは、その健康診断のYes/No率?
せや。実献血を追跡したかったらしいんやけど、医療情報に踏み込みすぎて倫理的にアウトやった。代わりに、論文の中で別データを引いてる。「健康診断を受けた人のうち、1年以内に78%が実際に献血した」。健康診断のYesは、実献血のかなり強い予兆やいうことや。
設計面で2つだけ補足しておくと、ひとつは募集時の告知。倫理委員会の要請で「血液提供への態度に関する研究です」と明示してから集めなければなりませんでした。これは献血関心層を引き寄せた可能性があり、ベース率がやや高めに出ている原因と推測されます。もうひとつは、すでに献血経験のある学生・健康診断を受けたことのある学生・自分が献血不適格と知っている学生は、後で除外されています。
結果①──全体ではぼんやり、性別で割るとくっきり
蓋を開けてみたらどうだったか。健康診断に「Yes」と答えた人の割合を、3群×(全体/男性/女性)で並べると、こうなります。
| 無償群 | SEK 50群(報酬) | 寄付選択群 | |
|---|---|---|---|
| 全体 | 43% | 33% | 44% |
| 男性 | 29% | 37% | 33% |
| 女性 | 52% | 30% | 53% |
全体(1行目) を見ると、報酬で約10ポイント下がり、寄付オプションで約10ポイント戻る、という方向性。Titmuss的なクラウディングアウトの形にはなっています。ただし、報酬による減少も寄付オプションによる回復も、統計的には有意でない(前者がp=.185、後者がp=.125)。「下がった気もするし戻った気もするけど、運で起こり得る範囲」というところで、Titmussを支持するも棄却するもしにくい結果でした。
ところがここからが本論文の見せ場です。性別で分けると、景色が一変するのです。
男性(2行目) は、3つの数字を行ったり来たりするだけで、有意な差はどこにもありません(無償vs報酬でp=.445)。お金を出してもさほど減らないし、寄付オプションを足してもさほど変わらない。要するに、報酬の有無に鈍感です。
女性(3行目) は、まったく違いました。無償群の52%が、報酬を入れた瞬間に30%へ──ほぼ半減。そして寄付オプションを足すと、53%までほぼ完全に復活します。報酬導入による減少も、寄付オプションによる回復も、どちらも統計的に有意でした(前者がp=.024、後者がp=.020)。
えっ、これおもろすぎへん?女性だけTitmussの言うとおり減って、男性はびくともしてへん。
せやな。しかも「寄付できますよ」って一言添えるだけで、減った分が完全に戻る。お金そのものは同じSEK 50やのに、選択肢が1つ増えるだけで女性の行動が大きく変わる。
ちょっと待って、それ変やない?②と③って、結局もらうお金は同じやろ。もらってから寄付すればええ話やん。なんで違いが出るん?
……今お前が言うたこと、この論文の急所や。
え、何が?
完全に合理的な人間にとっては、②と③は経済的には同じ条件のはずや。SEK 50もらってから「あ、子どもがん財団に振り込んでおくわ」と言えばいいだけやから。なのに、③の方が女性は明らかに反応してる。
……つまり、お金そのものじゃなくて、「寄付という選択肢が目の前にある」っていう状況が何かを変えてる、ってこと?
そういうこっちゃ。何を変えてるか、いうのが次の論点や。
ちなみに、③群で「献血する」と答えた人のうち、実際に寄付を選んだのは男性で69%、女性で77%(差は有意でない)。「もらえるけど、もらわず寄付した」が多数派です。この事実が、後で効いてきます。
結果②──候補理論を3つ並べてみる
ではなぜ、報酬で減るのか。なぜ寄付オプションで戻るのか。論文は3つの候補理論を提示します。ここからの議論の急所は、各理論が「報酬で減る」だけでなく「寄付オプションで戻る」も説明できるかどうかです。順に見ていきます。
候補1:内発的動機の侵
「お金が出ると、それまであった『善行をしたい』という内なる動機が萎える」という説明です。
これは①→②の減少(無償時52%→報酬時30%)はうまく説明できます。SEK 50が善意を侵食したわけです。
ただし、②→③の回復は説明しにくい。なぜなら、②でも、もらったSEK 50を実験後に自分で寄付することはできるからです。だとすれば、内発的動機の侵食の度合いは②と③で同じはず。なのに③だけ戻るのは、この理論の枠組みでは説明がつきません。
候補2:不完全契約・情報伝
前回記事で扱った理論です。報酬や罰則の導入が「契約の中身に関する新しい情報」を伝えてしまい、それで行動が変わる、というもの。前回の保育園実験では、罰金の導入が「遅刻のペナルティはこの程度なんや」という情報を親に与え、結果として遅刻を増やしました。
献血の場合:「お金が出る、ということは、社会的にはこの行為はそれほど崇高なものではないらしい」という情報が伝わって、行動が下方修正される。これも①→②の減少を説明できます。
しかし、やはり②→③の回復は説明できない。寄付オプションがあろうがなかろうが、「どんな契約なのか」という情報は変わらないからです。
候補3:シグナリング理論
ここで急に話の解像度が上がります。
「人は善行を、自分が善人であることを他人にシグナルするためにする」という前提から出発する理論です。社会的評価(social esteem)を気にするからこそ、人は手間をかけて寄付したり献血したりする──という見立て。
このモデルでは、お金が絡んだ瞬間に話がややこしくなります。「あの人、献血してたよね」と「あの人、SEK 50もらうために献血してたよね」では、見られ方がまったく違う。お金が善意のシグナルを濁すのです。だから報酬の導入で人が減る。
そして寄付オプション。「もらわず寄付する」という選択肢があれば、「私はお金目当てではないですよ」というシグナルを再構築できる。実際、③群で献血した女性の77%は寄付を選んでいます。お金目当てに見られたくない人が、シグナルを取り戻すために献血する──このストーリーが綺麗にハマる。
3つを並べて見比べると、こうなります。
| 理論 | 報酬で減ることを説明できるか | 寄付オプションで戻ることを説明できるか |
|---|---|---|
| 内発的動機の侵食 | ○ | ✕(受領後に自分で寄付すれば同じはず) |
| 不完全契約・情報伝達 | ○ | ✕(契約に関する情報は変わらない) |
| シグナリング | ○ | ○(寄付オプションは「金目当てじゃない」シグナルを復元) |
なるほど。3つのうち、寄付オプションの効果まで説明できるのはシグナリングだけ、と。
そういうこっちゃ。ただ、ここは丁寧に書いとかなあかん。著者らは「シグナリングが正しいことを証明した」とは言うてへん。「内発的動機説と不完全契約説には、それを直接ひっくり返す証拠はない。けど寄付オプションの効果はこの2説では追加の補助仮説なしには説明できない。シグナリング説の方が節約的に説明できる」っていうスタンスや。
論破ではなく、節約性の判断、と。
せや。これは「事実」と「解釈」を区別する大事なところや。「内発的動機が献血に効いていない」と証明されたわけではない。 あくまで、データを最も簡潔に説明するのはどれか、という相対比較の話や。
……正直この辺で頭パンクしそうなんやけど。
せやろな。ここまでをいったん整理しよか。要するにこの論文は、「報酬で減る」現象を見せただけでなく、「報酬で減るのはなぜか」を絞り込む装置として『寄付オプション』を仕込んだところがミソや。寄付オプションが効くかどうかで、3つの候補理論を選別できる。よく考えられた実験デザインや。
あー、そういうことか。やっと繋がった。
なぜ女性だけクラウディングアウトが起きたのか
シグナリング理論の枠組みで男女差を解釈すると、「女性の方が社会的評価への感度が高い」という説明になります。男性は報酬の有無にほとんど反応せず、女性は報酬で引いて寄付オプションで戻る──この差は、「お金目当てに見られたくない」という感覚の強さが女性で大きい、と読むと素直に説明できます。
ただし、ここからが大事な部分です。この男女差解釈の射程は、丁寧に書き分ける必要があります。
論文が積極的に主張しているのは、「女性ではクラウディングアウトと寄付オプションの効果が統計的に有意である」「シグナリングモデルが整合的である」という、それだけです。否定していないのは、男性にも何らかの効果がある可能性(サンプルサイズの限界で検出できないだけかもしれない)です。そして著者らがあえて踏み込んでいないのは、男女差そのものを「社会的評価感度の差」のせいだと因果的に断言することです。論文中ではっきりこう断っています。
男女差が、サンプル内で性別と相関する別の要因によって生じている可能性は排除できない。
事前仮説で性差を予想していたわけではなく、結果を見てから出てきた知見です。だからこの男女差は「新発見」として確立されたわけではなく、「示唆的な観察結果」として読むのが正しい温度感です。今後の実験で再現されてはじめて、確立された事実になります。
これは、「女性は◯◯」「男性は◯◯」と一文で切り取られるのを見るたびに思うことですが、論文の中の慎重な留保は、引用の段階で消えがちです。本記事もそこは気をつけたい。
人の目を気にして生きる──それでも結果が良ければそれで良い──
冒頭で書いた「献血趣味」の話。「現金1,000円」の看板が出たらたぶん引き返す、あの感覚。今回の論文のメカニズムで読み直すとこうなります。
無償なら、献血は「お手軽な社会貢献」というシンプルな善行として外から見える。ところが「現金1,000円」という情報が入った瞬間、自分の行動が他人にどう見えるかが変質する。「金目当ての人」と区別がつかなくなる。だから足が遠のく。
逆のパターンを考えると、メカニズムの形がよりはっきりします。たとえば献血ルームの掲示に「謝礼を受け取るか、同額を寄付するか選べます」と書いてあったらどうか。寄付を選んだ人は「金目当てじゃないですよ」とはっきり示せる。これがあるかないかで、特に他者の目を気にしやすい人の選択は変わる──というのが、この論文の含意です。
「無償だから尊い」のではなく、「無償だから他人に善人と見られる」。一見、身も蓋もない読み方ですが、私はこれを冷笑的には受け取りたくない。見られたいから善行をする、という回路が現に動いているのなら、その回路を否定するより、壊さずに設計に組み込む方がたぶん建設的です。寄付オプションが献血者を回復させたという結果は、まさにその設計の余地を示しています。
- Titmuss (1970) は「献血報酬は供給を減らす」と主張したが、40年以上、実験的検証はなかった
- Mellström & Johannesson (2008) はスウェーデンの大学生262名を3条件(無償/SEK 50/SEK 50か寄付か)に無作為割当てしたフィールド実験で、これを初めて検証
- 全体ではTitmuss仮説の方向性は出るが有意ではない。しかし女性に絞ると、報酬で52%→30%に半減し、寄付オプションで53%に完全復活(どちらも有意)。男性ではどの群もフラット
- 候補理論3つ(内発的動機の侵食/不完全契約/シグナリング)のうち、寄付オプションの効果まで説明できるのはシグナリング理論だけ
- ただし著者らは「シグナリング理論を証明した」とは言っておらず、節約性の原則による相対的な支持に留めている
- 性差は事前仮説ではなく事後発見なので、「ロバストな確立事実」ではなく「示唆的観察」として読むのが正しい温度
執筆後記
昔、誰かが「やらない善より、やる偽善」と言うてました(マンガのセリフとして見た記憶もありますが、出典は私には正確にたどれていません)。この言葉の輪郭は、本論文の含意とよく似ていると思うんです。動機が混じってようが、人の目を気にしてようが、献血バッグに血が溜まれば誰かの命が助かる。「無償だから尊い/報酬が出るから不純」という二分は、献血を受ける側の患者から見たら、たぶんあんまり意味がない。
本論文の女性たちの行動も、同じ温度で読みたいんです。「報酬が出ると引く」のは、見栄を気にしてる「だけ」の話ではなく、社会的評価という回路を経由してでも献血しよう、寄付しようとする力がちゃんと働いている、と読める。シグナリングは「不純な動機」のレッテルではなく、善行を成立させる社会的な回路の名前として読む方が、たぶんこの論文の含意にfitします。
寄付オプションが献血者を回復させたという結果は、その意味で私にはけっこう温かい話に見えました。「お金目当てに見られたくない」という気持ちにちゃんと逃げ場を設計してやれば、人は善行に戻ってくる。冷笑よりも、設計の話として読みたいものです。
参考文献
- Mellström, C., & Johannesson, M. (2008). Crowding Out in Blood Donation: Was Titmuss Right? Journal of the European Economic Association, 6(4), 845–863.
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