利用可能性ヒューリスティックシリーズ一覧
このシリーズは、「利用可能性ヒューリスティック(availability heuristic)」という心の近道が、半世紀かけてどう理解し直されてきたかを原典で追うものです。「何を思い出したか(中身)」から「どれだけ楽に思い出せたか(経験)」へ、そして「その経験にいつ頼るのか(条件)」へ。理解が精密になっていく流れを、論文1本=記事1本でたどります。
- 第1回 Tversky & Kahneman (1973):道具の発明(思い出しやすさを多さの代理に)
- 第2回 Ross & Sicoly (1979):射程の拡張(自己・責任への帰属)← 今ここ
- 第3回 coming soon
- 第4回 coming soon
- 第5回 coming soon
前回は、すべての出発点になった1973年の原典で、「人は頻度や確率を、思い浮かべる楽さで代理して判断している」という発見を読みました。今回は、その道具がどこまで届くのか——「自分自身」や「人間関係」の判断にまで効くのか、を見にいきます。
「うちの相手、あれやってくれない」——その隣で、相手も同じことを思っている
ご家庭で不定期開催される試合。「私のほうがあれやったりこれやったり忙しいんですけど」バトル、第243ラウンド。ゴングはたいてい、皿洗いの最中か、寝かしつけのあとに鳴ります。「家のこと、気づいたら自分ばっかりやってる気がする」。そう感じたことのない人は、たぶん少ないと思います。皿洗い、洗濯、ゴミ出し。
ここで少しだけ意地悪な計算をしてみます。仮に夫が「自分は6割やっている」と感じ、妻も「自分は6割やっている」と感じていたとします。足すと120%。誰も嘘をついていないのに、家事の総量が1.2軒分になってしまう。おもしろい(そして少し厄介な)のは、どちらも本気だということです。相手をやり込めたいわけでも、サボりを隠したいわけでもない。ただ、それぞれが心の底から「自分の方がやっている」と感じている。
あるわ〜これ。お互い本気で「自分の方がやってる」思てんねん。どっちも嘘ついてへんのに、足したら100超えるやろ。家、いつの間にか1.2軒分になっとるやんけ。
ええとこ突いたな。その「足したら100を超える」——まさにそこが今日の話や。前回の「思い出しやすさ」の仕組みが、頻度や確率だけやなくて、「自分はどれだけ貢献したか」みたいな社会的な判断にまで効いてくる。1979年の論文1本で、その”1.2軒問題”をほどいていくで。
この「お互いに自分の方が多いと思ってしまう」現象は、記事の最後にもう一度戻ってきます。まずは、それに名前と証拠を与えた研究を見にいきましょう。
- 利用可能性ヒューリスティックが、頻度だけでなく「自分の貢献・責任」の判断まで歪めること
- 夫婦の家事分担で、双方の責任感を足すと100%を超えてしまう理由
- 「自分の例」の方が思い出しやすい、という自己中心バイアス(egocentric bias)
- それが「自己美化」では説明しきれないこと(喧嘩の原因まで自分のせいにする)
- 思い出させ方を変えると、責任の感じ方が動くこと(=最強だが、まだ状況証拠)
この論文の結論(先にいいます)
自分の貢献は思い出しやすく、その結果、人は共同作業の自分の責任を、相手が認める以上に多く見積もる。 これは夫婦・ラボ・スポーツチーム・大学院生という、まったく違う5つの集団で繰り返し確認されました。ただし著者らは、慎重なブレーキも踏んでいます。「思い出しやすさの偏り」が「責任の見積もりの偏り」を引き起こす、という因果は、決定的には証明できていない——この自制が、実は次回への伏線になります。
自己中心バイアスとは──頻度の話が、なぜ責任の話になるのか
今回読んでいく原典はこちらです。
Ross, M., & Sicoly, F. (1979). Egocentric biases in availability and attribution. Journal of Personality and Social Psychology, 37(3), 322–336.
前回の利用可能性は、「Kで始まる語は多いか」「有名人は何人いたか」のような、自分の外にある対象の頻度の話でした。今回の主役は、その照準を自分自身に向けます。
正式には、この論文が扱うのは 利用可能性と帰属における自己中心バイアス(egocentric biases in availability and attribution) です。噛み砕くと、共同作業の責任を見積もるとき、人は「自分はどれだけ貢献したか」を思い出そうとする。ところが、自分の貢献は、相手の貢献よりも思い出しやすい。だから、思い出しやすさを手がかりにするかぎり、自分の取り分を実際より多く見積もってしまう。
ここで前回の道具が効いてきます。著者らは、Tversky & Kahneman (1973) を明示的に引いています。人は頻度を見積もるとき “the ease with which relevant instances come to mind”(関連する例が思い浮かぶ楽さ、p.209)を手がかりにする——だとすれば、自分の貢献の方が思い浮かびやすいなら、自分の責任を多めに見積もるはずだ、と。
待って。前回は「Kで始まる語が多い」みたいな、自分の外の話やったやん。それが急に「夫婦の家事」みたいな自分の話になるの、飛びすぎちゃう?
飛んでるように見えて、仕組みは同じやねん。前回は「例がぱっと浮かぶ→多いと感じる」やった。今回は「自分のやったことがぱっと浮かぶ→自分の取り分が多いと感じる」。対象が”語の数”から”貢献の量”に変わっただけで、エンジンは同じ利用可能性や。だからこれは寄り道やのうて、射程が社会にまで広がった、という話なんや。
なお、この論文には全部で5つの実験があります。本記事では
- まず夫婦で現象を捉え(実験1)
- 場面を変えても消えないことを確かめ(実験2・3)
- 操作で因果に迫ろうとして空振りし(実験4)
- 問い方を変えてようやく動かす(実験5)
という流れで紹介します。
【実験1】夫婦の家事分担──「自分の貢献」はなぜ膨らむか
この論文の中心は、最初の夫婦研究です。ここで「責任の偏り」と「記憶の偏り」が同居し、しかも両者が手をつないでいることが見えてきます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 被験者 | 学生寮に住む夫婦37組(うち20組に子どもあり)。報酬は1組5ドル |
| 手順① | 家事・育児など20の活動について、「主に妻/主に夫」を両端にした150mmの線に斜線を引き、自分の責任の度合いを示す |
| 手順② | それぞれの活動について、自分と配偶者の具体的な貢献例を書き出す |
| 測定 | (a)夫婦の責任配分の合計、(b)書き出した例の「自分の分/相手の分」の数 |
仕掛けは150mmの線にあります。妻の分と夫の分を足して150mmを超えたら、それは少なくとも一方が「自分の取り分」を多く見積もっている、ということです。
まず「責任の合計」が150を超えた
結果、夫婦の合計はゼロ(=ぴったり150)よりも有意に大きくなりました(平均で150mmを4.67mm超過、p<.001)。割合でいえば150mmに対して約3%、合計でおよそ103%の超過にすぎず、著者自身も「過大評価の大きさは比較的小さい」と明記しています。冒頭の「120%/1.2軒分」は仕組みを体感してもらうための誇張で、実データの膨らみ自体はずっと控えめです。37組中27組が過大評価の方向にずれていた。一組あたりの膨らみは小さくても、双方が少しずつ「自分が多い」に寄ると、足し算は100%を超えてしまう。
ここで効いてくるのが、この実験の隠し玉です。過大評価は、家事のような「良い貢献」だけで起きたのではありません。20項目中16項目で起き、しかもその中にはネガティブな項目も含まれていた。たとえば「夫婦の間で起きる喧嘩の原因をつくること」。普通なら「喧嘩の原因は相手の方」と思いたくなるはずなのに、両者もしくは少なくとも一方が「自分の方が原因の分が多い」方向に振れていたのです(p<.001)。
いやおかしいやろ。家事を「自分の方がやってる」はまだわかる。見栄やろ? でも喧嘩の原因まで「自分のせいが多い」って、誰が好き好んで自分を悪者にすんねん。
そこやねん。もしこれが「自分をよう見せたい」だけの話やったら、悪いことは相手に押しつけるはずやろ。やのに、悪いことの”自分の分”まで膨らむ。つまりこれは見栄やのうて、もっと素朴な記憶のクセ——「自分のやったことは、良いも悪いも、よう思い出せる」——が効いてる証拠なんや。
次に「思い出した例の数」が偏っていた
責任の偏りと並行して、記憶そのものの偏りも測られました。被験者は、自分の貢献例を平均 10.9個、配偶者の貢献例を平均 8.1個 書き出しました(p<.001)。自分のことの方が、たくさん思い出せる。
さらに著者らは、念入りに「数」と「詳しさ」を切り分けています。
| 測ったもの | 自分について | 相手について |
|---|---|---|
| 思い出した貢献の例の数 | 10.9個 | 8.1個 |
| 例1つあたりの語数(詳しさ) | 10.0語 | 10.1語 |
自分の例の方が「数」は多いのに、一つひとつの「詳しさ(語数)」は相手とほぼ同じ。そして責任の見積もりと結びついていたのは、詳しさではなく数の方でした。著者らの言い方では、効いていたのは「思い出した量」であって「思い出しの豊かさ」ではない、というわけです。
そして、2つの偏りが手をつないでいた
決め手はここです。「自分の例をたくさん思い出す人ほど、自分の責任を多く見積もる」——記憶の偏りと責任の偏りに、はっきりした相関があった(r=.50、p<.01)。
記憶が偏っている。責任の見積もりも偏っている。そして両者は連動している。著者らが「思い出しやすさの偏りが、責任の偏りを生んでいる」と考えた根拠が、ここにあります。ただし「相関がある」は「片方がもう片方を引き起こす」とまでは言えません。この距離が、後半でじわじわ効いてきます。
【実験2,3】場面を変えても消えない──ラボとバスケットボール
夫婦という特殊な関係だから起きたのでは、と思うかもしれません。続く2つの実験で、舞台を変えて確かめにいきます。要点だけ拾います。
【実験2】自尊心では説明しきれない——ラボの問題解決
ラボの実験で、「自尊心で全部説明できるか」を試しました。二人組で「心理的に問題を抱えたポーラ」という事例を議論させ、数日後に「あなたの班は成績が良かった/悪かった」と伝えてから、議論の内容を思い出させます。もし自己中心バイアスが純粋に自尊心(自分を良く見せたい)から来るなら、成功時には自分の発言をよく思い出し、失敗時には思い出さなくなるはずです。
結果は半分当たって、半分外れました。たしかに、自分の発言として思い出した割合は、成功時.70 > 失敗時.60 と、成功の方が高かった(自尊心の効果はある)。ところが——失敗時の.60も、偶然の.50を有意に上回っていた。つまり、自分の班がしくじったと言われた後でさえ、人は自分の発言の方を多く思い出していた。自尊心だけでは説明しきれない、というのが著者らの結論です。
【実験3】個人から集団へ——バスケットボールチーム
スポーツチームの実験では、個人から集団へ拡張しました。大学のバスケットボール12チームに、直近の試合の「ターニングポイント」と勝敗の理由を書かせると、ターニングポイントを「自分のチームの行動」で説明した割合は平均 80%超。勝因・敗因として挙げた理由も、自チームに関するもの(平均1.79個)が相手チーム(平均0.09個)を圧倒しました。
おもろいのはここや。ニュース番組でも同じことが起きる。著者らは、ある放送関係者の言葉を引いてる——「CBSの人間は『うちの月面着陸中継のおかげで一位になった』と言い、NBCの人間は『うちの看板コンビ(ハントリー&ブリンクリー)が解散したからや』と言う」。勝因も敗因も、原因はつい自分のチームに引きつけて説明してまうんや。
そして集団でも、敗北の後ですら自己中心の傾向は弱まりませんでした。ここまでで、「自分の貢献は思い出しやすく、責任を多く感じる」という現象が、相手や場面を選ばず顔を出すことが見えてきます。残る問いは——では、その記憶の偏りを外から動かせるのか、です。
【実験4】操作してみる──そして、空振りする
ここまでは「観察」でした。相関は出た。でも相関は因果ではない。そこで著者らは、記憶の偏りを人為的に作り出して、責任の見積もりが動くかどうかを直接試しにいきます。
実験4は、禁煙対策のブレインストーミングをさせながら、片方の群には「自分の発言」を、もう片方の群には「相手の発言だけ」をメモさせました。相手の発言をメモさせれば、相手の貢献が思い出しやすくなり、相手に責任を多く振るはず——そういう狙いです。
ところが、この操作はまったく効きませんでした(差は統計的にゼロ)。メモの焦点を相手に向けても、責任の見積もりは動かない。一方で、相手に焦点を当てた群でさえ、「議論を仕切っていたのは自分の方だ」という自己中心バイアスはしっかり残っていました。
え、空振り? ここまで「思い出しやすさが効く効く」言うてきて、いざ動かそうとしたら動かんかったん? それ、話が崩れてへん?
正直やろ。著者らも論文で「大ハンマーのつもりやったのに、空振りした」って認めてる。たぶん、メモが短すぎて被験者が結局は自分の記憶に頼ってもうた、と。でもな、この失敗があるから次が効いてくる。「焦点を当てる」みたいな雑な操作やのうて、もっと記憶の引き出し方そのものを変えたら、どうなるか——それが実験5や。
【実験5】問い方を変えるだけで、責任が動いた
実験5は、メモのような外付けではなく、記憶の引き出し方(検索)そのものを操作しました。狙うのは、人が自分にどんな問いを投げるか、です。被験者は、卒業論文を書き終えた大学院生たち。同じ内容のアンケートを、ほんの一語だけ変えて配ります。
- 自分に焦点を当てる版:「私が、方法論の何%を提案したか」「私が、研究全体の何%に責任があるか」
- 相手に焦点を当てる版:「指導教員が、方法論の何%を提案したか」……(「私」を「指導教員」に置き換えただけ)
問われる事実は同じです。違うのは、頭の中で「自分の貢献」を探しにいくか、「相手の貢献」を探しにいくか、だけ。結果がこれです。
| 問いの形 | 指導教員の責任とされた割合(研究全体) |
|---|---|
| 「私が〜%」(自分に焦点) | 16.5% |
| 「指導教員が〜%」(相手に焦点) | 33.3% |
同じ研究、同じ事実。なのに、問いの主語を「私」から「指導教員」に変えただけで、指導教員に振られる責任が約2倍になった(p<.01)。「相手の貢献を思い出してください」と仕向けられると、相手の貢献が思い浮かびやすくなり、その分だけ相手の取り分が増える。実験4の空振りのあとで、ようやく「記憶の引き出し方を変えれば、責任の見積もりが動く」ことが示されたわけです。
おお、今度は動いた。じゃあもう決まりやん。「思い出しやすさが責任感を作ってる」で確定やろ?
……それがな、著者らはここでもブレーキ踏むんや。落ち着いて聞いてくれ。
ここが、この記事のいちばん大事な踏みとどまりです。実験5は強い。でも著者ら自身が、3つの留保を残しています。
第一に、指導教員に焦点を当てても、その責任は全体の3分の1止まりでした。問い方で動きはするが、自己中心バイアスを消し去るほどではない。
第二に、「記憶の偏りが、責任の偏りを引き起こす」という決定的な証拠はない、と著者らは明言します。実験5が示したのは「問い方を変えると責任配分が動く」ことであって、その間に本当に「利用可能性(思い出しやすさ)」が介在したかは、直接には測っていない。別の要因が効いた可能性は消せない、というのです。
第三に、著者らは過去の自分の実験にまで疑いを向けます。実験3のバスケで使った「我々のチームが勝った/負けたのは……」という問いは、その語り口じたいが「自分のチームに目を向けさせた」かもしれない、と後から認めている。問いの形が結果を作ってしまった疑いです。
せやから、実験5は「決着」やのうて「最強の状況証拠」やねん。射程は社会まで広い、操作で動かすこともできた。でも「思い出しやすさが、ほんまに責任感を引き起こしてるんか」までは、この5実験では言い切れへん。著者らはそこを正直に空けたまま残した。この”空き”が、次回に効いてくる。
なぜ自分の貢献は「思い出しやすい」のか
では、そもそもなぜ自分の貢献の方が思い出しやすいのか。著者らは次の4つの仕組みを候補に挙げ、どれがデータを説明できるかを一つずつ検討します。
- 符号化・貯蔵の偏り:自分の発言は記憶に刻まれやすい
- 検索の偏り:思い出すとき、自分のことを探しにいく
- 情報の非対称:自分の内面は自分にしか見えない
- 自尊心・コントロールの動機:自分を良く見せたい・自分が動かしたと思いたい
著者らは、検索の偏り(自分について探しにいくクセ)だけはどのデータでも否定されず、実験2と5から直接の支持を得る、とします。一方で、残りの3つは「必ず要る原因(必要条件)」とまでは言えない。といって、どれかを「効いていない」と切り捨てるのも早計だ、とも言う。
どっちやねん。効いてるのか効いてへんのか、はっきりしてくれや。
それがこの論文の誠実なところでな。「実生活では、これらが多重に絡んで効いてるんやろ」で止めてる。一個の犯人に絞らへん。きれいに一個に決まらへんことを、決まらへんまま書く。これは逃げやのうて、現象に対する正直さやと思う。
著者が決着をつけていない以上、私たちもそれを尊重して、「検索の偏りが最有力だが、単独犯とは限らない」と並べたまま受け取るのが筋でしょう。
主張の射程──この論文が言えること、言えないこと
前回同様、ここで「どこまで言えて、どこから言えないか」を3段階で整理します。
積極的に主張していること
自分の貢献・責任は思い出しやすく、人はそれを相手が認める以上に多く見積もる。この自己中心バイアスは、夫婦・ラボ・スポーツチーム・大学院生という異なる集団で繰り返し現れた、頑健で広く見られる現象である。しかも「夫婦喧嘩の原因」のようなネガティブな項目でも起きるため、単なる自己美化には還元できない。記憶の偏りと責任の偏りは相関し(r=.50)、検索を操作すれば責任配分も動く。ここはデータで裏打ちされた主張です。
否定していないこと
「記憶の偏りが責任の偏りを引き起こす」という因果は、この論文では決定的には示せていません。あるのは相関(実験1)と、操作で動いたという状況証拠(実験5)まで。さらに、実験5の操作が本当に「思い出しやすさ」を動かしたのか自体、直接には測られていない。つまり著者らは、因果を否定したのではなく、証明できていないと正直に空けている。証拠がないことは、存在しないことを意味しません。
退けていること
「この現象は純粋に自尊心(自分を良く見せたい動機)で説明できる」という見方は、データと整合しません。班がしくじった後でも、敗北したチームでも、自己中心の傾向は残った(実験2・3)。同様に「意図的な自己アピールや欺瞞だ」という解釈についても、著者らは慎重です。
「忙しいバトル第243ラウンド」に戻る
冒頭の、あの試合に戻ります。「私のほうが忙しい」バトル。
二人とも嘘をついていないし、自己中でもない。ただ、それぞれにとって「自分のやったこと」の方が思い出しやすい。自分がゴミを出した朝は鮮明に覚えているが、相手が黙って洗い物を片づけた夜は、そもそも見ていないか、記憶に残っていない。だから、思い出せる量を手がかりにするかぎり、双方の「自分の取り分」が膨らみ、足すと100%を超える。実験1の夫婦と、まったく同じ構造です。
そして、いやな部分まで説明がつきます。「喧嘩の原因はだいたい自分の方だった気がする」と感じる夜があるとしたら、それは謙虚さでも卑下でもなく、自分の口走ったことの方をよく覚えているからかもしれない。良いことも悪いことも、「自分の分」は思い出しやすい。
逆のパターンも見ておくと、仕組みの一般性が分かります。実験5の含意を裏返せば、「相手は何をしてくれたか」を一度思い出してみると、見え方は動きます。相手の貢献を探しにいけば、相手の貢献が思い浮かびやすくなる。問題は「相手が手を抜いている」ことではなく、私たちの貢献センサーが実際の量ではなく思い出しやすさで動いていることにある。ここから「だから感謝しよう」と短絡するつもりはありませんが、すれ違いの正体が「悪意」ではなく「記憶の偏り」だと知っているだけで、責める前に一拍おける——それくらいの効き目はあるかもしれません。
まとめ
- 利用可能性ヒューリスティックは、頻度だけでなく「自分の貢献・責任」の判断まで歪める(射程の拡張)
- 自分の貢献は思い出しやすく、人は自分の責任を相手が認める以上に多く見積もる(自己中心バイアス)
- 喧嘩の原因のようなネガティブ項目でも起きる=単なる自己美化では説明できない
- 問い方(検索)を変えると責任配分は動く。ただし「思い出しやすさが責任感を引き起こす」因果は決定的には未証明=最強だが状況証拠
執筆後記
夫婦の家事分担で、お互いの「自分はこれだけやっている」を足すと100%を超えてしまう——この現象自体は、カーネマンの『ファスト&スロー』でも紹介された有名なくだりで、言われてみれば妙に納得もします。自分がやった家事は鮮明に覚えていても、相手が黙って片づけた分は、そもそも見えていないのですから。
ただ、白状しておきます。冒頭の「120%」「1.2軒分」は、仕組みを体感してもらうために盛った説明用の数字です。原典の実データはずっと控えめで、超過は平均3%ほど(合計でおよそ103%)。しかも皮肉なことに、Ross & Sicoly は被験者に割合(%)で答えさせること自体を避けています——%だと夫婦喧嘩の火種になりかねない、と脚注でわざわざ断っているのです(脚注1)。だからこの研究を「120%」で語るのは、じつは原典の作法にちょっと反している。盛った分は、盛ったと正直に申告しておきます。
この論文を持ってして初めてハッとするのは、その偏りが「自責」の側まで広がっていることです。世間では「他責思考はよくない」「人のせいにするな」とよく言われます。ところが実験1では、「夫婦喧嘩の原因をつくったのはどっちか」という、誰も引き取りたくないはずの項目でさえ、両者、または少なくとも一方は「自分の分が多い」に振れていた。自己中心バイアスは、いいことを自分の手柄にするだけやない。悪いことの責任まで、自分に厚く盛ってしまう。「他責こそ諸悪の根源」という通説の、ちょうど裏側を撃つ話です。
最近、我が家でこんなことがありました。子どもと二人そろって寝坊して、学校に遅刻しかけた朝のこと。私が軽い気持ちで「パパが起こさへんかったからやな」と振ったら、子どもが真顔で「いや、二度寝した自分が悪いんだよ」と言い出した。正直、感心してしまいました。ただ——Ross & Sicoly を読んだあとだと、これも「自分のやったこと(二度寝)の方が、よう思い出せる」という同じエンジンの産物かもしれん、と見えてくる。良くも悪くも、人は自分の手番をいちばん鮮明に覚えているのです。
ついでに、ひとつ思い出した場面があります。実験3でバスケットボールの話が出ましたが、漫画『スラムダンク』の海南戦。負けたあと、桜木と流川が「俺のせいだ」「いや俺のせいだ」と殴り合うシーンです。普通は責任を押しつけ合うのに、あの二人は責任を奪い合っている。妙な構図ですが、Ross & Sicoly のレンズで見ると腑に落ちます。自分のプレー(自分のミス、自分のシュート)の方がよう思い出せるんやから、「負けの主因は自分や」と感じるのも、ある意味では利用可能性ヒューリスティックの帰結なんですよね(笑)。
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参考文献
- Ross, M., & Sicoly, F. (1979). Egocentric biases in availability and attribution. Journal of Personality and Social Psychology, 37(3), 322–336.
- Tversky, A., & Kahneman, D. (1973). Availability: A heuristic for judging frequency and probability. Cognitive Psychology, 5(2), 207–232.

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