30秒でわかるプロスペクト理論
人は「いくら持っているか」ではなく、「今からいくら増えるか・減るか」で判断し、しかも損失は同じ額の利得より約2倍重く感じる。さらに、低い確率は実際以上に大きく見え、高い確率は実際より小さく感じる。これがプロスペクト理論の骨格です。
たとえば──コイン投げで「勝てば1万円もらえる、負ければ1万円払う」という五分五分の賭けを提案されたとします。期待値はゼロなのに、多くの人はこの賭けを断ります。「1万円もらう嬉しさ」より「1万円失う痛み」の方がずっと大きく感じるからです。
もうひとつ──宝くじの当選確率は数百万分の1。「ほぼゼロ」と頭ではわかっているのに、売り場の前に立つと「ワンチャンあるかも」と財布に手が伸びる。これは低い確率を実際以上に「盛って」感じてしまう確率加重の歪みです。
この理論は1979年にカーネマンとトヴェルスキーが提唱し、この理論を基盤とする研究に対して、2002年にカーネマンがノーベル経済学賞を受賞しました。以下のシリーズでは、原典をたどりながらその中身を本気で解説しています。
このシリーズについて
「プロスペクト理論って、S字グラフと”損は得の2倍”でしょ?」──そこで止まっている解説が、世の中には多すぎます。
このシリーズでは、カーネマン&トヴェルスキーの原典(1979年・1991年・1992年・2005年論文)を直接たどりながら、価値関数・確率加重・損失回避・参照点・境界条件までを一本の線でつなぎました。「なぜそう言えるのか」「どこで崩れるのか」まで見通せるようになることを目指しています。
この記事は、全5本のハブページです。各記事の要点を3行で押さえたあと、読者からよく寄せられる疑問・モヤモヤにQ&A形式で答えていきます。
シリーズ全体の見取り図
| # | 記事 | 扱う原典 | キーワード | こんな人はここから |
|---|---|---|---|---|
| 1 | プロスペクト理論を「S字グラフ貼って終わり」にしない─原典ベースで全体像を解説 | K&T 1979 / T&K 1992 | 価値関数・S字カーブ | 数式で理解したい/理論の全体像を掴みたい |
| 2 | 確率重み関数で読み解くプロスペクト理論 | T&K 1992 | 確率加重関数・逆S字 | 宝くじや保険の「なぜ?」が気になる |
| 3 | 損失回避の損は得の2倍の出どころ | K&T 1979 / T&K 1992 | λ=2.25・混合くじ・中央値 | 「2倍」の根拠を原典で確かめたい |
| 4 | 損失回避の境界線 | Novemsky & Kahneman 2005 | 境界条件・意図された交換・予算 | 損失回避が効かない例外を知りたい |
| 5 | 参照点が変わると好みが変わる | T&K 1991 | リスクなし選択・保有効果・現状維持バイアス | 日常の選択や交渉に使いたい |
各記事の簡単まとめ
第1回:プロスペクト理論を数式と原典からガチ解説
「お金が増えたときの喜び」と「同じ額を失ったときの痛み」はなぜ釣り合わないのか──その答えを、ホモ・エコノミクスの直線グラフからプロスペクト理論のS字カーブへ段階的に組み上げていきます。カーブの形を決めるのは、α(得の頭打ち)・β(損のヤケクソ)・λ(損の重み)・γ(確率の歪み)というたった4つのパラメータです。さらに、同年のノーベル賞をバーノン・スミス(実験経済学)と分け合った理由まで、一本の線でつなぎます。
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第2回:確率重み関数で読み解くプロスペクト理論
宝くじの「ワンチャンありそう」も、命中率95%なのに日和ってしまうのも、同じ仕組みで説明できます。人間は確率をそのまま受け取らず、低確率は盛り、高確率は削った「効き目としての確率」π(p)に変換してから判断しています。しかも利得側(γ≈0.61)は損失側(δ≈0.69)よりも歪みが大きく、「儲かりそうな話ほど確率判断がバグる」ことまで踏み込んでいます。
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第3回:損失回避の損は得の2倍の出どころ
「損は得の2倍」「λ=2.25」──よく引用される数字ですが、どの論文のどこから来たのかを正確に追える解説はほとんどありません。この記事では、1979年論文の定性的な主張から、1992年論文の混合くじ実験で「2倍」が観察され、25名の中央値としてλ=2.25が算出されるまでの経緯を一本道でたどります。この数字は人類共通の定数ではなく「ある実験の真ん中の人の値」にすぎない点、散らばりが未報告である点にも踏み込んでいます。
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第4回:損失回避の境界線
損失回避がいつでも発動するなら、毎朝のコンビニコーヒーで心が死ぬはず──この素朴なパズルに、カーネマン自身が2005年の論文で答えを出しています。カギは「意図された交換」。目的どおりにお金を使う場面では損失回避が出にくく、予算外の出費やギャンブル的状況では途端に復活します。「どこで効いてどこで効かないのか」という境界条件を、実験結果から整理した記事です。
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第5回:参照点が変わると好みが変わる──リスクなし選択と損失回避
プロスペクト理論は「くじの理論」だと思われがちですが、1991年論文はそれを日常の選択にまで広げました。マグカップを渡された瞬間に手放したくなくなる(保有効果)、今のプランを変えたがらない(現状維持バイアス)──4つの実験が示すのは、「参照点が変わるだけで、同じ選択肢への好みがひっくり返る」というシンプルで強力な事実です。参照点は「現状」だけでなく期待・願望・社会比較からも決まるため、値上げや交渉、公正さの判断にまで影響します。
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よくある疑問・モヤモヤ17選
Q1. プロスペクト理論と期待効用理論は何が違うの?一言で教えて
期待効用理論は「最終的にいくら持っているか」で判断するのに対し、プロスペクト理論は「ある基準(参照点)からどれだけ増えたか・減ったか」で判断します。しかも確率もそのまま使わず、頭の中で盛ったり削ったりしてから使う。この「参照点依存+確率の歪み」が核心的な違いです。(→ 第1回で段階的に解説)
Q2. プロスペクト理論と行動経済学は同じもの?
同じではありません。行動経済学は「人間の実際の判断・選択を心理学的に研究する経済学の分野」であり、プロスペクト理論はその中の一つの理論です。行動経済学には他にもナッジ、メンタルアカウンティング、現在バイアス、ヒューリスティクスなど多くの概念がありますが、プロスペクト理論は「リスク下の意思決定」を扱う理論として、行動経済学の土台を作った存在です。カーネマンのノーベル賞はこの理論の貢献が中心でした。「行動経済学の中で最も有名な理論がプロスペクト理論」という位置づけが正確です。(→ 理論の全体像は第1回、確率の歪みは第2回、損失回避の深掘りは第3回・第4回・第5回で解説)
Q3. S字カーブのグラフはよく見るけど、なぜあの形になるの?
右側(利得)は「得の頭打ち=リスク回避」、左側(損失)は「損の頭打ち=ヤケクソモード」、そして原点での折れ曲がりは「損が得より重い=損失回避」を表しています。これは人間に多くの選択問題を解かせた実験データから浮かび上がった形であり、机上で決めたものではありません。α・β・λという3つのパラメータがこの形を規定しています。(→ 第1回 第4章)
Q4. α=0.88、β=0.88、λ=2.25って、人類共通の定数なの?
違います。1992年論文でバークレーとスタンフォードの大学院生25名に実験し、一人ひとりの値を非線形回帰で推定して、その中央値を取ったものです。25人中13番目の人の値にすぎず、散らばりのデータ(標準偏差、最小値・最大値)は論文に記載されていません。「だいたいこのあたり」という経験的な目安として理解するのが正確です。(→ 第3回 第3章・執筆後記)
Q5. 「損は得の2倍」はどの論文のどこに書いてあるの?
1992年のTversky & Kahneman論文、Table 6の混合くじ実験が直接の出どころです。「50%の確率で$25失う賭けを受けるには、いくらの利得が必要?」と問うと、被験者は損失額の約2倍の利得を要求しました。論文では “a prospect will only be acceptable if the gain is at least twice as large as the loss” と述べられています。なお1979年論文では「損の方が重い」という定性的主張のみで、「2倍」という数字はまだ出てきません。(→ 第3回 第1章〜第2章)
Q6. 確率加重関数って何? 一言で言うと?
人間は客観的な確率p(例:1%、50%、95%)をそのまま判断に使わず、頭の中で「効き目としての確率」π(p)に変換してから使っている、というモデルです。低確率は盛って感じ(宝くじの「ワンチャン」)、高確率は削って感じる(99%でも「なんか日和る」)。このねじれが逆S字カーブとして表現されます。(→ 第2回 第1章〜第2章)
Q7. γとδの違いがよくわからない。結局何が言いたいの?
γ(≈0.61)は利得側の確率の歪み方、δ(≈0.69)は損失側の確率の歪み方を決めるパラメータです。値が1より小さいほど逆S字がきつくなります。γ<δなので、利得側の方が歪みが大きい。つまり「儲かりそうな話」のときほど確率判断がバグりやすく、損する場面ではまだ少しマシ(それでもバグる)ということです。(→ 第2回 第3章)
Q8. 損失回避がいつでも発動するなら、買い物のたびに苦しいはずでは?
そこがまさに2005年のNovemsky & Kahneman論文が取り組んだパズルです。結論は、お金は「交換のために保有している」ので、目的どおりに使うとき(=意図された交換)には損失として感じにくい。予算化された支出(コンビニコーヒー、サブスク月額など)では損失回避が出にくいのです。ただし予算外の出費や、お金だけ取られてしまうギャンブル的状況では損失回避が復活します。(→ 第4回 第4章)
Q9. 保有効果って、長く持ってるから愛着が湧くんじゃないの?
1991年の実験では、マグカップを数分前に渡されただけの人でも、選択者の約2倍の価格をつけています。論文は “apparently instantaneously”(どうやら瞬時に)保有効果が発生すると述べています。愛着や思い出の問題ではなく、「所有権を得た瞬間に参照点がシフトし、手放すことが”損失”に変わる」というメカニズムです。(→ 第5回 第2章 実験a)
Q10. 現状維持バイアスと損失回避は同じもの?
別物ですが、深く関連しています。現状維持バイアスは「変えない」という行動パターン、損失回避はその主要な心理的原因です。Tversky & Kahneman (1991) は “Loss aversion implies the status quo bias” と述べています。ただし、考えるコスト・取引コスト・過去の選択へのコミットメントも現状維持を後押しするので、損失回避だけが原因ではありません。(→ 第5回 第2章 実験b)
Q11. 参照点って「今の状態」のことでしょ?
多くの場合はそうですが、それだけではありません。1991年論文は、参照点の決定因として「現状」「期待」「願望」「社会比較」の4つを挙げています。ボーナスが期待より少なければ「損失」に感じるし、同期の昇進を見れば自分の現状が「損」に見え始める。客観的に何も変わっていなくても、参照点が動くだけで世界の見え方が変わるのです。(→ 第5回 第3章)
Q12. 宝くじを買う行動はプロスペクト理論でどう説明されるの?
確率加重関数の出番です。宝くじの当選確率(例:1/100万)は客観的にはほぼゼロですが、人間の頭の中では「なんかワンチャンありそう」と盛られてしまう(π(p) > p)。さらに利得側のγ≈0.61はδ≈0.69より小さいので、得する話ほど確率の歪みが大きい。「当たったらデカい」という利得の魅力と、低確率の過大評価が組み合わさって、期待値マイナスでも買ってしまうのです。(→ 第2回 第4章)
Q13. カーネマンとトヴェルスキーのノーベル賞、何がそんなにすごかったの?
「人間はホモ・エコノミクスではない」という直感を、実験データと数式できちんと基盤にしたことです。従来の経済学は「最終的な富」と「客観的な確率」で選択を説明していましたが、プロスペクト理論は「参照点からの変化」と「歪められた確率」という2軸で人間の選択パターンをモデル化しました。同時受賞のバーノン・スミスの実験経済学と合わせて、「理論を実験で検証する」というアプローチが経済学の方法論を変えた点も大きいのです。(→ 第1回 第7章〜第8章)
Q14. このシリーズを読む順番は?途中から読んでも大丈夫?
第1回が理論全体の骨格なので、まずはここから読むのがおすすめです。第2回は第1回の確率加重部分の深掘りなので、セットで読むと理解が深まります。第3回〜第5回はそれぞれ独立したテーマ(λの出どころ、境界条件、参照点のリスクなし拡張)を扱っているので、興味のあるところから読んでも大丈夫です。ただし第4回と第5回は第3回の「損失回避の基本」を前提にしているので、第3回は先に読んでおく方がスムーズです。
Q15. 結局プロスペクト理論で「何が言えて、何が言えない」の?
言えること:人間は参照点からの変化で判断し、損失は利得より重く感じ、確率の感じ方も歪む。この3つの組み合わせで、宝くじ購入・保険加入・現状維持・保有効果・ヤケクソギャンブルなど、期待効用理論では「非合理」としか言えなかった行動パターンに構造的な説明を与えられます。言えないこと:参照点がどう決まるかの予測モデルはまだ不完全で、損失回避が発動する条件の完全なリストもありません。λ=2.25も万能の定数ではなく、状況や個人で変動します。「骨格は強力だが、適用範囲の境界はまだ研究途上」──これがシリーズ全体を通した結論です。
Q16. 1979年の論文と1992年の論文は何が違うの?
1979年論文(オリジナル・プロスペクト理論)は「くじの結果が2つまで」という制約があり、確率加重関数も定性的な議論にとどまっていました。1992年論文(累積プロスペクト理論)は、結果が何個あっても扱えるようにモデルを拡張し、確率加重関数にγ・δという具体的パラメータを与えて推定しました。αβλの数値が初めて実験的に報告されたのも1992年論文です。世の中で「プロスペクト理論」と呼ばれているものの多くは、実は1992年版の累積プロスペクト理論です。(→ 第1回 第6章・第2回 第2章)
Q17. プロスペクト理論はマーケティングやビジネスにどう使われているの?
損失回避を利用した代表例が「無料お試し期間」です。一度使い始めると参照点が「持っている状態」にシフトし、解約が”損失”に感じられる。これは保有効果(第5回)そのものです。また「期間限定セール」は、買わないと”損をする”というフレーミングで損失回避を刺激します。一方で、日常の買い物では損失回避が発動しにくい(第4回の「意図された交換」)ため、すべてに効くわけではありません。「どこで効いてどこで効かないか」の境界を理解することがビジネス応用の鍵です。
参考文献(シリーズ共通)
- Kahneman, D., & Tversky, A. (1979). Prospect theory: An analysis of decision under risk. Econometrica, 47(2), 263–291.
- Tversky, A., & Kahneman, D. (1991). Loss Aversion in Riskless Choice: A Reference-Dependent Model. The Quarterly Journal of Economics, 106(4), 1039–1061.
- Tversky, A., & Kahneman, D. (1992). Advances in prospect theory: Cumulative representation of uncertainty. Journal of Risk and Uncertainty, 5(4), 297–323.
- Novemsky, N., & Kahneman, D. (2005). The boundaries of loss aversion. Journal of Marketing Research, 42(2), 119–128.


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