リンダ問題(連言錯誤)シリーズ一覧
クレーンゲームでの「これ、取れる確率ある?」
ゲーセンのクレーンゲームの前で、子どもが100円玉を握って聞いてきました。
「これ、取れる確率ある?」
このとき子どもは、確率という語を数値として使っていません。「可能性はあるのか」と聞いています。私も「まあ、あるんちゃう」と答えました。その筐体が確率機かどうかも、設定金額がどこにあるかも知らないのに、会話は問題なく成立しています。
日常の「確率」は、しばしば数学の確率ではありません。「その説、確率高いと思うわ」は「ありそうやと思う」の意味です。そして聞き手は、話し手がどちらの意味で使ったかを、いちいち確認せずに読み取っています。
この、あまりに当たり前な事実が、行動経済学のもっとも有名な実験のひとつを揺るがしました。
前回の記事、リンダ問題やったやろ。「銀行員」より「銀行員でフェミニスト」のほうが確率高いって答える人が85%。あれ、人間の推論のバグやって話やったやん。
そう読める。ただ、あの実験には前提がひとつ隠れてる。被験者が問題文の「確率」という語を、数学の確率として読んでいるという前提や。
……いや、そら読むやろ。確率って書いてあるんやから。
ほんまにそうか。実際に被験者に聞いてみた人らがおる。今日はその論文の話。
- リンダ問題には、日本語圏でほとんど紹介されてこなかった正面からの反論が存在する
- 反論の中身は「連言錯誤は存在しない」ではなく「錯誤の証拠として不十分だ」である
- 被験者に直接聞くと、問題文の「probability(確率)」を数学的な意味で読んでいた人は少数派だった
- 前回の記事の最後に置いた「外延的手がかり」という説明が、この論文で名指しで反証されている
- それでも決着はついていない。その理由まで。
この記事と論文の結論(先にいいます)
リンダ問題の「probability(確率)」は多義語である。被験者の多くは、この語を数学的な確率ではなく「可能性」「ありそうさ」「あてはまり具合」として読んでいた。問いを「確率」から「頻度」に置き換えると、連言錯誤はほぼ消える。ある実験では違反率が0%になった。その減少は、Tversky & Kahneman が挙げた「外延的手がかり」では説明できない。一方「連言錯誤は存在しない」「人間は確率判断を間違えない」は、とまではこの論文はしていません。ここを取り違えると、この論争は読めなくなります。
言葉の整理と原典
今回読んでいく原典はこちらです。
Hertwig, R., & Gigerenzer, G. (1999). The “conjunction fallacy” revisited: How intelligent inferences look like reasoning errors. Journal of Behavioral Decision Making, 12(4), 275–305.
タイトルを直訳すると「『連言錯誤』再訪──知的な推論が推論の誤りに見えるとき」。副題がそのまま主張です。3つほど大筋を理解するのに必要な語を書いておきます。
内容に目をつぶった規範(content-blind norm)
問題文の意味や文脈を一切考慮せず、論理形式だけで正解を決める採点基準のこと。リンダ問題では「P(A and B) ≤ P(A)」がそれです。この基準は、被験者が問題文をどう読んだかを問いません。
意味推論仮説(semantic-inference hypothesis)
Hertwig と Gigerenzer の側の説明。被験者は多義語である「probability」の意味を、会話の文脈から推論して確定させている。その推論の結果として選ばれた意味が非数学的なものであれば、連言則違反が起きる。
外延的手がかり仮説(extensional-cue hypothesis)
Tversky & Kahneman の側の説明。問題文にクラスの包含関係を示すヒント(参照クラスの大きさ、集団への言及など)が含まれていると、被験者は外延的に考えられるようになり、誤りが減る。前回の記事で紹介した「健康調査の質問文を変えると誤答率が65%から11%まで落ちる」現象の説明がこれ。
この論文の勝負は、頻度形式で違反が減るという同じ事実を、どちらの仮説が説明できるかという点にあります。
なんや。おんなじようなデータを取って、その説明でケンカしとんのか?
せや。データが足りんのやなくて、データの読みが割れてんねん。この論争がしんどいのはそこや。
【実験1】被験者に「確率」の意味を聞いてみる
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 参加者 | ミュンヘン大学の学生 18名 |
| 課題 | リンダ問題(銀行員/フェミニスト/銀行員でフェミニストの3項目の順位づけ)を解いたあと、問題文の「probability」をどう読んだかを回答させる |
| 測り方 | ①自由記述の言い換え課題 ②用意された言い換え候補からの選択課題 |
結果
まず、リンダ問題そのものの結果は先行研究どおりでした。18名中15名(83%)が「銀行員でフェミニスト」を「銀行員」より上に置き、連言則に違反しました。問題はその次です。以下は、被験者がprobabilityを数学的に解釈したか、非数学的な意味として解釈したかの割合です。
| 測定 | 数学的な意味 | 非数学的な意味 |
|---|---|---|
| 自由記述の言い換え(全39応答) | 7応答(18%) | 32応答(82%) |
| 候補からの選択(全64選択) | 8選択(12%) | 56選択(88%) |
多かった読みの内訳は次のとおりです。
| 測定 | 読み(原語) | 回数 |
|---|---|---|
| 自由記述 | possibility(可能性) | 9 |
| 自由記述 | correspondence(合致) | 6 |
| 自由記述 | applicability(あてはまり) | 4 |
| 自由記述 | conceivability(考えられること) | 4 |
| 選択課題 | possibility(可能性) | 11 |
| 選択課題 | conceivability(考えられること) | 9 |
| 選択課題 | plausibility(もっともらしさ) | 8 |
| 選択課題 | reasonableness(納得できること) | 8 |
注目すべき数字があります。代表性ヒューリスティックが想定する読み、つまり typicality(典型性)と similarity(類似性)が選ばれたのは、非数学的な選択56回のうち9回(16%)にとどまりました。
解釈
被験者は「確率」という語を、大半が数学の確率として読んでいませんでした。読んでいたのは「ありそうさ」「あてはまり具合」です。
そして、代表性ヒューリスティックの説明力もここでは限定的でした。被験者が自分の判断を説明するときに使ったのは、類似性よりも「可能性」や「考えられること」だったからです。
この実験だけでは、意味の読みと判断の因果関係は言えません。事後に聞いているので、後づけの説明かもしれない。次の実験がそこを詰めます。
えっ、82%が数学的に読んでへんの。つまるとこ、実験者の意図した意味で被験者が捉えてないってことやんな?ほな採点する側がずっと勘違いしてたってことになるやん。
少なくとも「確率と書いたから確率として読まれる」という前提は、実測すると成立してへんな。言葉の問題やねん。俺らも「ワンチャンある」とか言うけど、そんな厳密に確率考えてへんやん?ここがこの論文のいちばん効いてるとこや。
【実験2】先に「典型性」を聞くと違反が減る
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 参加者 | ザルツブルク大学の学生 90名 |
| 課題 | リンダ問題。4条件に振り分け |
| 操作 | ①典型性の順位づけを先にやらせるか(T あり/なし) ②判断中に考えていることを声に出してもらう(発話思考)(+あり/なし) |
いじっているのは2か所だけです。ひとつは確率を聞く前に、別の質問をはさむかどうか。もうひとつは判断中に考えていることを声に出すかどうか。2×2の4条件になります。90名をそこに振り分けた、それだけの実験です。
操作①:先に「典型性」を聞く(T)
確率の順位づけをさせる前に、「リンダの人物描写は『銀行員』『フェミニスト活動家』『銀行員でフェミニスト』のそれぞれにどれくらい典型的にあてはまるか」を順位づけさせます。狙いは、人物描写という情報を先に使い切らせることです。
会話には「与えられた情報は、いまの判断に関係があるはずだ」という暗黙の前提(関連性の公理)が働きます。リンダの描写がこれだけ丁寧に置かれている以上、被験者はそれを使わなければならないと感じます。ところが典型性判断のほうで描写を消費してしまえば、その圧力は解除されます。
加えて、典型性を先に答えてしまえば、次に来る確率の質問は「さっきと同じことをもう一度聞かれている」ことになります。実験者が意味のない繰り返しをするはずがない、と読む被験者は、確率の質問には別の意味――今度は数学的な確率――を割り当てるはずです。これが意味推論仮説からの予測になります。
操作②:判断中に考えていることを声に出させる(⁺)
もうひとつは、判断を下しながら頭のなかで考えていることを口に出してもらう発話思考(think aloud)です。音声を録音して分析すれば、被験者が「確率」という語をその場でどう解釈し、どんなルールを当てはめているのかを、回答の結果からではなく過程から直接のぞけます。こちらは違反率を下げるための操作ではありません。思考の中身を見るための方法論です。
条件名の読み方
以上を組み合わせた4条件が、結果の表に並ぶ P、P⁺、TP、TP⁺です。P は確率だけを聞く標準版、T は先に典型性を聞いた版、⁺ は声に出して考えながら答えた版を指します。TP⁺ は「先に典型性を聞き、かつ発話思考をさせる」、いちばん手を入れた条件です。
結果
| 条件 | 連言則違反 |
|---|---|
| 確率のみ(P) | 88%(21/24) |
| 確率のみ+発話思考(P⁺) | 82%(18/22) |
| 典型性→確率(TP) | 59%(13/22) |
| 典型性→確率+発話思考(TP⁺) | 27%(6/22) |
典型性を先に置くだけで違反率は29ポイント下がりました(88%→59%)。一方、声に出して考えてもらうだけではほとんど動きません(88%→82%)。両方を重ねた条件でだけ、27%まで落ちています(82%→27%)。つまり効いていたのは典型性判断であって、発話思考ではありません。
そのかわり、発話思考は中身を見せてくれます。TP⁺条件で「銀行員でフェミニスト」を最下位に置いた被験者16名のうち、5名が判断中に包含関係に言及し、7名が「銀行員」と「フェミニスト」は相容れないという読みについて言及していました。
解釈
違反率は、問題文の論理構造を一切変えなくても、手続きだけで大きく動きました。動かしたのは「この質問で確率という語は何を指しているのか」という読みです。
ここで大事なのは、この操作が「正解を教えるたぐい」ものではないことです。典型性の順位づけをさせただけで、論理については言及していません。それでも、連言項を最下位に置いた被験者の多くが、集合の包含や選択肢の意味を自力で語り出しました。
条件が4つあってややこしいけど、やってるんは「先に典型性を聞く」と「声に出して考えてもらう」の2つだけってことか。
そう。問題文の論理構造はどの条件も同じや。リンダの人物描写も、選択肢の並びも、連言則の形も一切いじってない。いじったんは前後の手続きだけ。
先に典型性を聞かれたら、なんで確率の答えが変わるん。別の質問やん。
別の質問やからこそ効く。典型性を答えた直後に確率を聞かれたら、「いま同じこと答えたけどな」となる。ほな確率のほうは違う意味で聞かれてるんやろ、と読み直す。その読み直しが数学の確率に寄る、という筋書きや。
もういっこの、声に出させるほうの意味は何やねん。
答えの数字だけ集めてても、なんでそう答えたかは分からん。しゃべってもらって録音したら、「フェミニストのなかに銀行員フェミニストが入っとる」みたいな思考の筋道がそのまま見れるやろ?1983年の論文がやってへんのは、まさにここや。
それで88%が27%か。えらい落ちるな。授業もしてへんのに。
論理は一言も教えてへん。それでも被験者は自分から「フェミニストは銀行員フェミニストを含む」と言い出すんや。すごいな。
【実験3】聞き方を「頻度」に変えてみる
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 参加者 | ミュンヘン大学の学生 20名 |
| 課題 | ①頻度形式のリンダ問題(詳細は後述) ②「frequency」の言い換え課題 |
いじったのは設問の形だけです。標準版のリンダ問題は「どの記述がより確率が高いかを順位づけてください」と聞きます。頻度版は以下のように聞きます。
ある世論調査で、参加対象として選ばれた 200 人の女性には、次のような共通点があります。彼女たちは平均年齢 30 歳で、独身、そして非常に頭が良いです。彼女たちは哲学を専攻していました。学生時代、彼女たちは差別や社会正義の問題に深く関心を持ち、反核デモにも参加していました。以下の事象の頻度を推定してください。
200人の女性のうち、銀行員はどれくらいいるか?
・・・以下省略
(Exhibit 3 より、拙訳)
リンダの人物描写はそのままです。ただし個人としてのリンダではなく、「200人の女性の共通点」であることと「頻度」の2点が変わっています。
ただし、ここは正確に書いておくと、語が変われば答え方も変わります。確率版は選択肢に順位をつける作業、頻度版は人数を書く作業です。この答えさせ方の違いも違反率に効いています。
この形なら、違反の定義も一目で分かります。「銀行員でフェミニスト」の人数が「銀行員」の人数より大きい回答を書いたら、その人は連言則に違反しています。200人のうち銀行員が30人、銀行員でフェミニストが50人とは書けない、ということです。
意味の読みも同じやり方で測る
もうひとつの柱が、実験1と同じ手続きを「frequency」に向けて繰り返したことです。問題を解いたあと、「この語をどういう意味で読みましたか」と聞く。実験1と同じ尺で測るので、二つの語の多義性を直接比べられます。
結果
連言則違反は0%(20名中0名)でした。
言い換え課題では、55応答のうち非数学的な読みはたった1つ(possibility)だけ。残りはすべて数学的な読みで、how often(13回)、number(12回)、percentage(11回)、proportion(6回)、quantity(5回)が並びました。
解釈
「probability」が多義語である一方、「frequency」はほぼ一義的でした。語を替えると被験者の読みが収束し、同時に連言則違反が消えました。この0%をすべて「語の力」とすることもできません。先に述べたように順位づけから人数の記入へと、答えさせ方も同時に変わっています。
0%はえらい極端やな。ほんまに全員できてるんか。
サンプルは20名やから、そこは割り引いて読む必要があるかもな。probabilityとfrequency、確率と頻度、入れ替えるだけでこんだけの結果が出るんやから、なかなかのもんやろ。
【実験4】前回の記事の説明を、この論文が崩す
前回の記事の後半で、私は次のように書きました。「質問文の形を変えると誤答率は劇的に下がる。原典はその条件を最初から報告していた」。そして、その減少の理由として Tversky & Kahneman が挙げていたのが外延的手がかりでした。
この実験は、その理由づけを直接ねらいます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 参加者 | ザルツブルク大学の学生 98名 |
| テスト1 | 頻度形式から外延的手がかりを削る。 ①特徴を集団ではなく単一個人に紐づける版 ②参照クラスの大きさを明示しない版 |
| テスト2 | 逆に、外延的手がかりを全部入れたうえで、語だけ「確率」に戻す版 |
この実験はこの論文の山場なので、丁寧に噛み砕いておきます。
まず「外延的手がかり」とは何か
頻度版の問題文には、確率版にはないヒントが入ってしまいます。具体的には2つです。
- 集団を相手にしていること。「リンダのような人が何人」と聞く方式は、ひとりのリンダではなく人々の集まりを想像させます。集まりを思い浮かべれば、入れ子の関係(フェミニストの集団のなかに銀行員フェミニストがいる)に気づきやすい。
- 参照クラスの大きさが書いてあること。「200人います」という分母が明示されているので、部分と全体の関係を考えやすい。
Tversky & Kahneman 側の説明はここ。頻度版で違反が減るのは、語が変わったからではなく、この手がかりのおかげで被験者が外延的に考えられるようになったからだと。2つの仮説は、同じ「頻度版で違反が減る」という事実を、違う原因に帰している。だから手がかりと語を引き剥がして、どちらが効いているのかを見ればよい。それがこの実験の発想です。
テスト1は、語を「何人」のままにして、上の手がかりを削ります。テスト2は逆に、手がかりを全部入れたうえで、語だけ「確率」に戻します。この2つのテストで、両仮説の予測は真逆になります。だから結果を見れば、どちらが当たったかが一意に決まります。
| いじったこと | 外延的手がかり仮説の予測 | 意味推論仮説の予測 |
|---|---|---|
| テスト1:語は頻度、手がかりを削る | 違反率は上がる | ほとんど動かない |
| テスト2:手がかり全部入れ、語は確率 | 違反率は低いまま | 違反率は跳ね上がる |
結果
4つの版を、ひとつずつ見ていきます。
版①:標準の頻度版(違反 13%)
- 見せ方:「リンダのような人が200人います」と、はじめから集団を見せる
- 質問:「そのうち何人が銀行員ですか。何人が銀行員でフェミニストですか」
- ひとこと:集団のイメージも分母もあり、語も「何人」。手がかりと語がともに揃った、もっとも条件のよい版です。実験3と同じデザインの問い方です。
版②:特徴を単一の人物に紐づけた版(違反 20%)
- 見せ方:いつもどおり「1人のリンダ」の人物描写から始める
- 質問:そのうえで「リンダのような人が200人いたら、何人が……」と聞く
- ひとこと:集団に向けて特徴を述べるという手がかりを削った版。それでも違反は7ポイントしか増えませんでした。
版③:人数を伏せた版(違反 16%)
- 見せ方:「リンダのような人たちを想像してください」とだけ言い、人数を出さない
- 質問:「そのうち何人が銀行員ですか」
- ひとこと:ここが面白いところです。分母を教えなくても、「何人」と聞くだけで被験者は自分で集団を立ててしまいます。
版④:手がかり全部入り、語だけ「確率」(違反 67%)
- 見せ方:集団も分母も明示し、その集団からリンダが選ばれた形で提示する
- 質問:「リンダが銀行員である確率は。銀行員でフェミニストである確率は」
- ひとこと:外延的手がかりは満載。それでも「確率」という語が入った瞬間に、違反率は67%まで戻りました。
表にするとこうなります。
| 版 | 連言則違反 |
|---|---|
| ① 標準の頻度版 | 13%(3/23) |
| ② 頻度版・特徴を単一個人に紐づけ | 20%(5/25) |
| ③ 頻度版・参照クラスの大きさ未指定 | 16%(4/25) |
| ④ 外延的手がかり全部入り・語は「確率」 | 67%(16/24) |
外延的手がかりを削っても、違反率はほとんど動きませんでした(13%→20%、16%)。一方、外延的手がかりを最大限に用意したうえで語を「確率」に戻すと、違反率は67%まで上がりました。
解釈
違反率を動かしていたのは外延的手がかりではなく、「確率」か「頻度」かという語の選択でした。
- 「何人」と聞かれると、数を数える問題として読む。分母を教えられなくても、被験者は自分で集団を立てて包含関係を扱います(版③)。
- 「確率」と聞かれると、多義語が戻る。「ありそうさ」の読みが混じるので、手がかりをどれだけ足しても違反は戻ってきます(版④)。
語が読みのスイッチになっている、と言い換えてもよいです。
これは前回の記事の最後の節に対する、正面からの反証です。「提示形式を変えると誤りが減る」という事実はそのまま残ります。しかし「なぜ減るのか」の説明が入れ替わります。
同じ現象に、原因の異なる説明が2つ立ったかたちです。
これ、二手とも決まってるやん。手がかりを削っても動かん、手がかりを全部入れて語だけ戻したら跳ね上がる。
予測が真逆になるとこを2か所突いて、両方とも意味推論仮説の予測のほうに倒れた。デザインとしてはきれいな形や。
でも待てや。前回の記事で「質問文の形を変えたら誤答が減る」って書いとったやろ。あれは間違いやったんか。
事実は合ってる。形を変えたら減る。崩れたのは「なぜ減るのか」の説明のほうや。現象は残って、原因の帰属先が入れ替わった。
……地味に痛いな。現象は当ててたのに、理由を間違えてたってことやろ。
そこがこの論争の中心や。両陣営は同じ現象を見てる。見てるものが同じだからこそ、どっちの説明が正しいかをデータで決めにくい。
この実験でも決まらんのか。こんなにはっきり出てても。
少なくとも「手がかりだけで全部説明できる」はきついな。ただし「外延的な考えはどこでも働いてない」とこまでは言えん。このデータの射程はここまでや。
なぜ「頻度」に変えると消えるのか
語の多義性と、会話の作法
Hertwig と Gigerenzer が土台に置いたのは Grice の会話の公理です。人は会話において、相手が関連のあることを、必要な量だけ言っていると想定して解釈します。
この前提で、リンダ問題をもう一度読んでみます。被験者の前には、リンダの人物描写が丁寧に置かれています。哲学専攻、社会正義に関心、反核デモに参加。もし問いが純粋な数学の確率なら、この描写は全部無関係な情報です。関連のあることしか言わないはずの実験者が、無関係な情報をわざわざ長々と提示している。
この矛盾を解消する読みは、「この問いは数学の確率ではない」です。被験者は描写を無視するかわりに、問いの意味を調整しました。
さらに、選択肢の側にも同じ力が働きます。「銀行員」と「銀行員でフェミニスト」が並べて示されたとき、前者は「銀行員だがフェミニストではない」という含意を帯びます。並べる意味がないなら並べないはずだ、という読みです。この読みを採ると、比較そのものが連言則の対象ではなくなります。
それやったら「かどうかは問わない」って書き足したら解決するんちゃうん。
実際やられてる。Tversky & Kahneman 自身が1983年に「whether or not」を足して、89%が57%まで落ちた。
……減っとるやん。
減る。ただしゼロにはならん。だから「含意だけで全部説明できる」も言い過ぎになる。ここが正直なところや。
補足:半分は答えさせ方、残り半分が語
ここまで「語」の話をしてきましたが、記事の骨組を守るために省いてきた要因がもうひとつあります。回答様式、すなわち答えさせ方です。
- 確率版:選択肢に順位をつける
- 頻度版:「200人のうち何人」と数を見積もる
この違いだけで違反率が動きます。頻度効果のおよそ半分は、語ではなく答えさせ方の変更で説明がつくと、先行研究を引いて著者らは見積もっています。
とはいえ、残り半分は語の分です。実験4の版④を思い出してください。集団も分母も揃え、外延的手がかりを全部そろえたうえで語だけ「確率」に戻すと、違反率は67%まで跳ね返りました。答えさせ方をいくら整えても、語が「確率」であるかぎり誤りは戻ってくるのです。
著者ら自身も「回答様式を除けば、もっとも重要な単一の要因は用語である」と書いています。この記事が「語」を主役に置いているのは、そういう意味です。
この論文が主張していること、していないこと
積極的に主張していること
この論文が言い切っているのは、リンダ問題の「probability」が多義語であり、被験者の多くはそれを非数学的な意味で読んでいた、という点です(実験1・実験3)。そして語を「頻度」に置き換えれば連言則違反は大幅に減り、実験によっては消えます。その減少は外延的手がかりでは説明できません(実験4)。ここから導かれるのは、被験者が何に答えていたかを確かめずにリンダ問題の回答を「推論の誤り」と呼ぶことはできない、という指摘です。
否定していないこと、退けていること
一方で、否定していないことも同じくらい重要です。連言則違反という現象そのものの存在は否定していません。代表性ヒューリスティックが何らかの場面で働くことも、否定はしていません。
退けているのは、そこから一歩踏み込んだ3つの読み方のほうです。ひとつは確率規範だけで人の推論を採点する方法論。外延的手がかりで説明する読み。そして重要なのがリンダ問題の結果をそのまま「人間の推論のバグ」の証拠として提示することです。
ほな結局どっちが正しいねん。
それが次の記事の話や。同じデータを見て結論が割れたとき、どうやって決着させるか。実は両陣営が乗り込んだ共同作業みたいなことも起きてる。
仲良うやってんの?
仲良うはないみたいや。カーネマンとギーゲレンツァーはそれぞれの著書で他方をディスっとる。見てるとおもろいで。
日常に戻る
クレーンゲームの前の話に戻ります。
子どもの「これ、取れる確率ある?」に、私は「あるんちゃう」と答えました。もしここで「これ確率機やから、設定金額まであと何回か入れんとアームは強くならへん。今の1回で取れる確率はほぼゼロや」と答えたら、答えとしては正確ですが、会話としては失敗しています。子どもが聞きたかったのはそこではないからです。
聞き手が話し手の意図を読むのは、能力の不足ではなく、会話の技術です。私たちは日常のほとんどの時間、この技術を使って生きています。
この論文が問うているのは、その技術を持ったまま実験室に入ってきた人に、技術を使わないことを前提にした採点をしていいのか、という点です。被験者は人物描写を読み、実験者の意図を推し測り、この問いはたぶん「ありそうさ」を聞いているのだろうと判断した。その判断は、外の世界では正しい判断です。
1983年の論文は、被験者の回答を集めて数え上げました。1999年の論文は、被験者に「あなたはこの語をどう読んだのか」を聞きに行きました。同じ現象を扱っているのに、後者のほうが人間臭さが見えます。
どちらが科学として優れているかは別の話です。ただ、被験者を「間違えた人」ではなく「何かを読み取った人」として扱った瞬間に、見える景色が変わったことは確かですね。
- リンダ問題には正面からの反論がある。Hertwig & Gigerenzer (1999) がその代表格
- 被験者に問題文の「probability」を読み換えさせた場合、数学的な読みは39応答中7応答(18%)にすぎなかった
- 語を「頻度」に替えると違反はほぼ消える
- その減少は外延的手がかりでは説明できない。手がかりを削っても違反率は動かず、手がかりを足して語だけ「確率」に戻すと67%に戻った
- ただし「順位づけか数量推定か」という答えさせ方も効いている。著者の見積では頻度効果の約半分がこれ
- 主張は「錯誤は存在しない」ではなく「錯誤の証拠として不十分」
執筆後記
前回の続きですが、カーネマンとギーゲレンツァーの話です。彼らの一般向けの書籍に『ファスト&スロー』と『賢く決めるリスク思考』があります。
同じ論争の当事者が書いた一般向けの本なのに、温度がまるで違います。前者は、人の判断がどこで系統的にずれるかを実験で一枚ずつ剥がしていく本。後者は、不確実な世界で人がどうやってうまくやっているかを見に行く本です。
無論カーネマンは尊敬しますが、ギーゲレンツァーも好きです。直感の話をし、しまいには伴侶の選び方の話までする。確率論と統計的推論についてガチな知識を持っている人が、「不確実な世界では計算ではなく勘で行け」と言う。この人はたぶん人間そのものが好きなんだろうな、という気配がします。
今回の論文も、読み方によっては同じ気配の延長にあります。さきほどの判断、つまり日常のコミュニケーション能力をきちんと働かせた結果として、回答が出ている。
言い方を悪くすれば、人間のコミュニケーション能力をぶん回した結果ではないか、という話です。人物描写を全部無視して数式だけを見ている人のほうが、よっぽど奇妙なことをしている。採点で0点をつけられた側が、実は場の読みを正しくやっていただけだった。「知的な推論が推論の誤りに見える」という副題は、要するに「採点する方、お前がおかしいんちゃうか?」という話ですね。
参考文献
- Hertwig, R., & Gigerenzer, G. (1999). The “conjunction fallacy” revisited: How intelligent inferences look like reasoning errors. Journal of Behavioral Decision Making, 12(4), 275–305.
- Tversky, A., & Kahneman, D. (1983). Extensional versus intuitive reasoning: The conjunction fallacy in probability judgment. Psychological Review, 90(4), 293–315.
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