リンダ問題の敵対的協働|Mellers, Hertwig & Kahneman (2001) 頻度形式では連言錯誤は消えなかった

原典解説

リンダ問題(連言錯誤)シリーズ一覧

このシリーズは、リンダ問題をめぐる1983年から2001年までの論争を3本で追います。本記事は3本目、最終回です。

ここまでの2本と、行き止まり

1本目で見たのは、リンダ問題という現象そのものでした。「銀行員」より「銀行員でフェミニスト」のほうが起こりやすいと答える人が85%。しかも原典は、人物描写だけでなく、ダイス賭けでも、専門の予測者115名でも、同じ形の誤りを取り出していました。

2本目で見たのは、その解釈への正面からの反論でした。被験者に「probability をどう読んだか」を直接聞くと、82%が数学の確率として読んでいなかった。問い方を「頻度」に変えると違反はほぼ消える。連言錯誤は推論のバグではなく、言葉の読みの問題ではないのか。

同じデータを見て、片方は「人間の推論のバグだ」と言い、もう片方は「実験の設計が悪い」と言う。3本目で扱うのは、この行き止まりを抜けるために当事者たちが実際にやったことです。論争していた本人どうしが、一緒に実験しました。

この記事でわかること

  • 敵対的協働(adversarial collaboration)という、論争の決着のつけ方の設計
  • 実験の前に「自分が負けを認める条件」を書き出して審判に預けるという手続き
  • 頻度形式そのものでは連言効果は消えなかったこと、そして本当に効いていたのが「ダミー項目」という誰も注目していなかった要素だったこと
  • 3人の誰ひとり予想していなかった結果が出たあと、Hertwig と Kahneman が何をどう譲り、何を譲らなかったか
  • 決着のつけ方を事前に設計しても、決着しないことがあるということ

この記事と論文の結論(先にいいます)

頻度形式そのものには、連言効果を消す力はありませんでした。「and」「and are」「who are」のどの言い回しでも、頻度で聞けば消えるということはない。ここまでは Hertwig の主張の強い版が退けられています。
ところが、ダミー項目(本題ではない、その他の選択肢)を取り除いた実験では、Hertwig が提案した言い回しで連言効果が消えました。逆にダミーを5個に増やすと復活します。動いていたのは問い方の形式ではなく、比較対象が視界にあるかどうかでした。
そしてこの結果をどう解釈するかで、両者はやはり分かれました。

用語の整理と原典

今回読んでいく原典はこちらです。

Mellers, B., Hertwig, R., & Kahneman, D. (2001). Do frequency representations eliminate conjunction effects? An exercise in adversarial collaboration. Psychological Science, 12(4), 269–275.

著者の並びに注目してください。Hertwig と Kahneman は、この時点で論争の当事者どうしです。筆頭の Mellers は、その仲裁者として入っています。先に3つ重要な語を置いておきます。

敵対的協働(adversarial collaboration)

対立する当事者が、実験の前に「どの結果が出たらどちらが正しいと認めるか」を合意し、中立の仲裁者の立ち会いのもとで実験を行う手法。この論文が提唱し、同時に自ら実演しています。

被験者間デザイン

異なるグループに、それぞれ1つの項目だけを推定させる設計。1人の被験者に「銀行員」と「銀行員でフェミニスト」の両方を見せる被験者内デザインと対になります。両方見せると包含関係に気づかれてしまうため、Kahneman & Tversky (1996) はヒューリスティックの研究には被験者間が適切だと主張していました。

ダミー項目(原語:filler items)

本題ではない、問題用紙の残りを埋めるための選択肢。今回は「高校教師」「無職」などが使われました。被験者間デザインでは、各人が2つのうち片方しか見ないので、原理的には不要な項目です。
名前のとおり、被験者をひっかけるためのものではありません。実験者の側にも、これで何かを誘導しようという意図はありませんでした。そのはずの項目が、この記事の主役になります。

論争の見取り図──2001年までに何が起きていたか

ここは前提の整理です。急ぐ場合は、次の「事前に記録された両者の予測」の表だけ拾っても先に進めます。

「and」は多義語である

Kahneman & Tversky (1996) は、頻度形式でも被験者間デザインなら連言効果が出ることを示しました。そこで使われた言い回しが「bank tellers and active feminists」です。名詞と名詞を「and」でつないだ形になっています。

Hertwigは、ここに噛みつきました。確率論の「and」は積集合を指します。しかし日常語の「and」は和集合にもなる。「パーティーに友人と同僚を招いた」は、友人でありかつ同僚である人だけを招いたという意味ではありません。もし被験者の一部が「and」を和集合として読んでいたなら、その検定は連言則の検定になっていない。

そこで彼は「bank tellers who are active in the feminist movement」という言い回しを提案しました。ミュンヘン大学の学生を使った被験者間実験(各群30名)の結果が、これです。

言い回し1,000人中の推定平均中央値
銀行員13295
銀行員 and フェミニスト活動家337250
銀行員 who are フェミニスト運動に参加12523

「and」では連言効果が出るのに、「who are」では消える。言い回しを変えただけで現象が出たり消えたりするなら、それは推論のバグではなく言葉の問題ではないか。これが Hertwig の主張でした。

ここで、設計をひとつ覚えておいてください。この3群は、どの群も「高校教師」を一緒に推定しています。つまりミュンヘン実験には、のちに本記事の主役になるダミー項目がすでに1個あった。それでも「who are」では効果が消えました。この一点が、記事の後半で回収されます。

Kahneman が認めたことと、認めなかったこと

ここで協働が始まります。Kahneman の応答は、単純な全否定ではありませんでした。

  • 認めた:「and」が意味的に多義でありうること
  • 認めなかった:自身らの実験の被験者が実際に「and」を和集合として読んでいたということ
  • 別の説明を出した:被験者は連言をひとつのプロトタイプとして表象している。つまり代表性ヒューリスティックが働いている
  • 「who are」については同意した:この言い回しは限定的で、積集合として読むよう強く誘導する。だから効果が消えるだろう

最後の点が重要です。Kahneman は「who are では連言効果は出ない」という Hertwig の予測に同意しています。両者が同じ予測をしている項目があるということです。

ヒューマン
ヒューマン

あれ、相手の言い分をけっこう認めてるやん。

エコノ
エコノ

せや。ここが批判論文との違いやねん。批判論文は相手の弱いとこを叩く。協働は「どこまでなら同意できるか」を先に確定させる。残った差分だけが実験の対象になる。

ヒューマン
ヒューマン

差分が小さいほうが、はっきりするってことか。

エコノ
エコノ

そういうこっちゃ。たとえるなら、揉めてる土地の境界を測る前に、揉めてへん部分の杭を先に打つ。残った一区画だけ測ればええようになる。──ただしこの喩えが説明するのは「争点を絞る」ところまでで、測った結果に両者が納得するかどうかまでは説明せえへん。そこは後で効いてくる。

事前に記録された両者の予測

そこで Hertwig が第三の言い回しを提案します。「bank tellers and are active in the feminist movement」。これは Tversky & Kahneman (1983) の原文「Linda is a bank teller and is active in the feminist movement」を、そのまま頻度形式に写したものです。

Kahneman はこの言い回しを検定材料として受け入れ、そのうえで予測は正反対に置きました。さらに彼のほうから「feminist bank tellers」——連言を表す語をまるごと消した形——を追加提案しています。

以下が、実験前に仲裁者 Mellers に記録された予測です。

言い回しHertwig の予測Kahneman の予測提案者
and連言効果が出る連言効果が出る既存
who are消える消えるHertwig
and are消える出るHertwig
feminist bank tellers(連言語なし)出るKahneman

実験の共通設計

人物描写は2つ使われました。リンダと、新しく James です。

James はボヘミアン的な家庭で育った。父は音楽家、母は画家。両親は40年間ともに暮らしたが、結婚はしなかった。James は喜劇の才に恵まれた子どもだったが、青年期には反抗的な問題児になった。2年で大学を中退し、工芸を学びにアジアへ渡った。James は現在35歳である。

問い方はどちらも「このような人が100人いたら、そのうち何人が〜ですか」という頻度形式です。各ストーリーには「ありそうな項目」と「ありそうにない項目」が1つずつ置かれます。

ありそうな項目ありそうにない項目
リンダフェミニスト銀行員
James芸術家共和党員

これからの3つの実験で変わる主な条件は、ダミー項目の数です。1個 → 0個 → 5個。この順番自体が、協働の進行を記録しています。ただし実験3では、ダミー5個と同時に「順位づけ」の手順も加わります(後述)。

【実験1】ダミー1個──「who are」で両者の予測が外れる

項目内容
狙い事前登録された両者の予測を、被験者間デザインで検定する
被験者オハイオ州立大学の学部生。各群平均108名。持ち帰り式の質問紙、単位加算
手順1問につき、ターゲット項目1つとダミー項目1つの人数を推定させる。ターゲットは群ごとに変える
ダミーリンダ=「高校教師」/James=「無職」
測定項目連言表現の推定人数が、ありそうにない項目の推定人数を有意に上回るか

結果

リンダ問題です。太字が、ありそうにない項目(銀行員)を有意に上回った(=連言効果が出た)ものです。事前予測の争点にあたる4項目を抜き出しています(原典はこのほかの言い回しも報告しています)。

項目推定人数(100人中)
銀行員(ありそうにない)24.6
銀行員 and フェミニスト39.9
銀行員 and are フェミニスト40.2
銀行員 who are フェミニスト34.6

解釈

ダミー項目がある環境では、曖昧さを潰した言い回し(and are/who are)でも連言錯誤は消えませんでした。

「and are」で効果が出たのは Kahneman の予測どおりで、Hertwig の予測が外れています。そして「who are」は、両者が揃って「消える」と予測して外した唯一の項目です(34.6 対 24.6)。

ここで先の伏線が効きます。ミュンヘン実験も、ダミー「高校教師」を置いた被験者間デザインでした。それでも「who are」は消え、実験1では出た。ダミーが1個あるかどうかでは、この食い違いは説明できません。原典はこれに別の指標で答えています。「両者が合意したこと」で扱います。

もうひとつ。同じ設計の James では、多義的な「and」ですら効果が出ませんでした。原典がこれについて挙げている説明のひとつが、ダミーの選び方です。リンダのダミー「高校教師」34.8 はありそうな項目(フェミニスト58.1)より小さいのに、James のダミー「無職」55.3 はありそうな項目(芸術家41.0)を上回っている。ダミーがありそうな項目より大きいと、ターゲット項目どうしの差が縮んで見える。

つまり、本題と関係ないはずのダミーが、結果を動かしている疑いが出ました。そこで Hertwig が次の一手を提案します。ダミーを取り除いた実験です。

ヒューマン
ヒューマン

待って。ダミーって、ただの飾りちゃうん? なんで飾りが結果動かすねん。

エコノ
エコノ

被験者間やから、1人が見るんは「銀行員」か「銀行員でフェミニスト」のどっちか片方だけや。せやから理屈のうえでは、隣に高校教師が並んでても関係あらへん。

ヒューマン
ヒューマン

やんな。

エコノ
エコノ

ところが、隣に何か並んでると、人は勝手に比べてまう。「銀行員は高校教師より多いか少ないか」を先に考えてから答える。そのとき使うんが、人物描写との噛み合いの良さや。

ヒューマン
ヒューマン

……あ。比べるモードに入ると、印象で答えるようになるってことか。

エコノ
エコノ

それがこの先の争点になる。いまはまだ仮説やけどな。

【実験2】ダミーなし──Hertwig の予測が当たる

項目内容
狙いダミー項目を取り除いたとき、連言効果が残るかを見る
提案者Hertwig
被験者オハイオ州立大学の学部生。各群平均96名。
手順1問につき、ターゲット項目1つだけを推定させる。ダミーなし

結果

項目実験1(ダミー1個)実験2(ダミーなし)
銀行員24.621.4
銀行員 and フェミニスト39.930.4
銀行員 and are フェミニスト40.221.8
銀行員 who are フェミニスト34.623.1

「and are」は 40.2 から 21.8 へ落ち、単独の「銀行員」21.4 とほぼ同じになりました。「who are」も同じです。追加された Bill 問題でも、まったく同じパターンが再現されました。

解釈

ダミーなしの環境では、and are/who are で連言錯誤が消え、残ったのは多義的な「and」だけでした。

「and」30.4 は単独の銀行員 21.4 を有意に上回り、「and are」21.8 との差も有意です。実験1で外れた Hertwig の予測が、ダミーを消しただけで当たりました。

ただし、「なぜ消えたか」で両者は分かれます。Hertwig は「多義性を潰したから」と読み、Kahneman は「項目が1つしかないから分析的に考えたのだ」と読みました。

後者が正しいなら、ダミーを増やせば効果は戻るはずです。Kahneman はそれを次の実験として提案しました。

【実験3】ダミー5個と順位づけ──Kahneman の予測が当たる

項目内容
狙い比較を強く促したとき、「and are」の連言効果が復活するかを見る
提案者Kahneman
被験者カリフォルニア大学バークレー校の学部生。各群平均40名。
手順まず全カテゴリを多い順に順位づけさせ、そのあとで人数を推定させる(2段階)
ダミー1問につき5個

結果

項目実験2(0個)実験3(5個)
銀行員21.414.3
銀行員 and フェミニスト30.426.4
銀行員 and are フェミニスト21.822.8

James でも同じです。「and」22.9、「and are」21.4 が、ともに共和党員12.7を有意に上回りました。実験1では影も形もなかった連言効果が、James でも出ています。

解釈

ダミー5個と順位づけで比較を強く促すと、「and are」の連言錯誤が復活しました。ただし動いたのは連言項目でなく、比較対象の「銀行員」です。

「and are」は 21.8→22.8 でほとんど動かず、下がったのは「銀行員」21.4→14.3 のほうでした。連言効果が戻ったのは、連言項目が押し上げられたからではなく単独項目が押し下げられたからです。これは後の争点になります。

ヒューマン
ヒューマン

ちょっと待った。それ、ダミーの中身を選べば、連言効果を出したり消したりできるってことにならへん?

エコノ
エコノ

ええとこ突いた。それがまさに Hertwig の言い分になる。

3つの実験を並べる──動いていたのはダミーだった

全体を1枚にします。◯が連言効果あり、×がなしです。

言い回し実験1(ダミー1個)実験2(0個)実験3(5個)
and
and are×
who are×

「頻度表現は連言効果を消すか」。答えは、それ単独では消さない、です。3実験のどこを見ても、頻度で聞いただけで消えたケースはありません。消える条件がありました。頻度形式で、かつ多義性のない言い回しで、かつ比較対象が視界にないとき。3つ揃って初めて消えます

ただし3つ目は、正確には「視界にあるか」ではありません。回答者が比べるモードに入ったかです。ダミーはそのきっかけにすぎない。

両者が合意したこと

実験のあと、Hertwig と Kahneman は次の点で合意しました。

  1. ダミー項目があると、被験者の反応は暗黙のうちに比較的になり、連言効果が出やすくなる
  2. 比較的な反応と非比較的な反応では、異なる心理過程が働いている

「合計100人」で答えた人たち──比較の指紋

1点目の根拠として原典が挙げているのは、ダミーの存在そのものではありません。回答の合計が100になっているかどうかです。

どの実験でも、「合計を100人にしてください」という指示は出ていません。暗黙にも明示にも、です。それでも一部の回答者は、ターゲット項目とダミー項目の推定を足すとちょうど100になるように答えていました。これは、項目を独立に見積もったのではなく並べて配分したということです。比較した痕跡が数字に残っている。

そして、合計が100になった回答者では連言効果が出やすく、ならなかった回答者では消えやすい。この傾向が、ミュンヘン実験と実験1の両方で確認されています。

合計100%で答えた人の割合「who are」の連言効果
ミュンヘン実験(Hertwig 1997)約3分の1消えた
実験1(ダミー1個)約3分の2出た

どちらもダミーは置かれていた。違ったのは、置かれたダミーを実際に比較に使った人の割合でした。Hertwig はこの差を「who are」の結果が反転した理由として挙げています。

ヒューマン
ヒューマン

足したら100、って勝手にやってしまう人がおるんか。

エコノ
エコノ

言われてへんのにな。せやから逆に使える。指示せんかったのに100で答えた人は、自分から比べに行った人や。その人らに連言効果が集まってる。

ヒューマン
ヒューマン

ダミーが悪いんやなくて、ダミーを比較に使った人が動いた、と。

エコノ
エコノ

そういう読みや。ただ原典もこれで全部片づけてるわけやないから、言い切らんほうがええ。

合意はここまでです。2点目の「異なる心理過程」が何なのかで、両者は分かれました。

決着しなかったこと──2つの個別考察

論文の末尾は、仲裁者による合意事項のあとに「Hertwig’s View」「Kahneman’s View」が別々の節として並ぶ構成になっています。

論点Hertwig の読みKahneman の読み
基準となる状態頻度形式では連言錯誤は起きない。起きるなら理由があるプロトタイプ表象が判断を支配する。強い外延的手がかりがない限り誤りは起きる
実験2で「and」だけ効果が出た理由多義性の説明がよく当てはまる和集合解釈が働いた理由がない。他の実験で働いていないのだから
実験1・3で「and are」が「and」と同じだった理由比較過程が支配的になったため。多義性の役割は小さかったと認める意味的多義性仮説はここで棄却された
実験2で「and are」が消えた理由予測どおり。多義性を潰したから完全な驚きだった。1項目に注意が集中し、熟慮的・分析的モードに入って「and are」の限定の含みに気づいたため
ミュンヘンで「who are」が消え、実験1では出た理由合計100%で答えた人の割合が違う(約3分の1 対 約3分の2)。暗黙の比較が起きた度合いの差
ダミーの役割ダミーの中身しだいで連言効果は出たり消えたりする。被験者間デザインでは不要な項目のはずなのに比較の暗黙の指示が、連言をひとつのプロトタイプとして表象させる
次にやるべきことダミーとターゲットの内容がどう相互作用するか。確率形式でも同じ現象が起きるか実験2を軽い認知負荷下で再現する。実験1を音読させて再現する

Hertwig の側

彼は被験者間デザインそのものへの不信を前面に出しています。「被験者間デザインは奇妙な生き物だ」。引くのは Varey, Mellers, & Birnbaum (1990) の一文——判断の被験者間比較から推論を引き出すときは極度に慎重であるべきだ——。

実質的な論拠は実験3の数字の動き方です。ダミーを入れて動いたのは「銀行員」だけで、連言項目もフェミニストも動かなかった。ならば、ダミーの選び方しだいで連言効果は自在に出し入れできることになります。

もうひとつの論拠が、さきほどの合計100%です。ミュンヘンで「who are」の効果が出ず、実験1で出たのは、暗黙の比較に入った人の割合が違ったからだと彼は読みます。

Kahneman の側

彼は2つの区別を導入します。ひとつは表象の形式で、カテゴリを成員の集まりとして捉える外延的表象と、典型例の性質として捉える内包的表象。もうひとつは思考のモードで、知覚に似た速く楽な直観的思考と、規則に従う遅く努力を要する熟慮的思考です。外延的表象の処理には熟慮的思考が要る、というのが彼の見立てです。

この後半の区別に、見覚えのある人もいるはずです。速く自動的な思考と、遅く努力を要する思考。のちに『ファスト&スロー』(2011)で「システム1」「システム2」と呼ばれる枠組みの、10年前の姿がここにあります。

ヒューマン
ヒューマン

なあ、これ結局どっちが勝ったん。

エコノ
エコノ

勝ってへん。両方とも、自分の主張の届く範囲が狭まったことを認めた。Hertwig は「andの多義性は要因のひとつにすぎん」と書いた。Kahneman は「代表性が上書きされる条件が特定された」と書いた。

シリーズを閉じる

1983年、リンダ問題が現象を示しました。2文を並べれば85%が確率の規則を破る。1999年、その解釈に反論が出ました。被験者は「確率」という語を数学の意味で読んでいない。2001年、当事者たちが一緒に実験しました。そして、どちらの説明でもない第三の要因が出てきました。

この3本で読者に残したいのは、リンダ問題の正解ではありません。同じデータを見ている二人が、なぜ違う結論に達しうるのかという構造のほうです。

この点について、反論側陣営の一人である Gigerenzer 自身が、のちの一般向け著作の原註で書いています。

カーネマンにとって合理性のグラスは半分空(から)で、ギーゲレンツァーにとって合理性のグラスは半分満ちていると言われることがある。1人は悲観主義者、もう人は楽観主義者ということだ。しかしこの説明は的をはずしている。私たちは、そもそも合理性のグラスとは何かという点で見解が異なるのだ。カーネマンとその信奉者は、論理や確率論というものを一般的な「中身を無視した」合理性の規範ととらえる。彼らの考えでは、ヒューリスティックのほうが正確ということはありえず、ただスピードが速いだけだ。(ゲルド・ギーゲレンツァー, 賢く決めるリスク思考,注4ページ)

2001年の敵対的協働がやったのは、その隔たりを埋めることではなく、隔たりの位置を正確に測ることでした。

この記事のまとめ

  • 敵対的協働とは、対立する当事者が「どの結果が出たらどちらが正しいか」を実験前に合意し、仲裁者の立ち会いのもとで検証する手法
  • 頻度形式それ自体では連言効果は消えなかった。消えたのは、多義性のない言い回しで、かつダミー項目がない条件だけ
  • 動いていたのは問い方の形式ではなく、比較対象が視界にあるかどうかだった。これは3人の誰も予想していなかった
  • 決着のつけ方を事前に設計しても、決着しないことがある。それでも論争は前に進んだ

執筆後記──10年後、「無駄に終わっている」の一言で片付けられていた

事前登録された予測の表を読み解き、数値を一つずつ突き合わせ、Hertwig の節と Kahneman の節を行き来して「どこまで譲って、どこを譲らなかったか」を並べる。そういう作業をひとおり終えているわけですが、一般書で実はこの論文は結構ひどい扱いを受けています。当事者の一方による、10年後の総括です。

『ファスト&スロー』第15章最後の段落。リンダ問題を扱う章です。

数年前、リンダ問題を執拗に批判してきたラルフ・ヘルトウィヒと、私は友好的に言葉を交わした。彼とはそれ以前に対立を解消しようと試みたが無駄に終わっている(*4)。

4 が指しているのが、本記事で読んできたこの論文です。

いや、知ってたよ?私も先にファスト&スロー読んでるから、この論文が上記で片付けられていたの知ってたよ?それでもリンダ問題語るなら読んで置かなければいけないと思って一生懸命読みましたよ。

それでも事前の協定とか、仲裁者とか用意してやっておきながら、「無駄に終わっている」とか書いてあると、なんだか釈然としないのですよね。


参考文献

Mellers, B., Hertwig, R., & Kahneman, D. (2001). Do frequency representations eliminate conjunction effects? An exercise in adversarial collaboration. Psychological Science, 12(4), 269–275.

原典で殴るシリーズ(薄味まとめに飽きた人向け)

コメント

タイトルとURLをコピーしました