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リンダ問題はその後どうなったか|連言錯誤をめぐる20年の論争を原典3本で追う【全3回まとめ】

リンダ問題と連言錯誤 原典3本を読む 1983–2001 シリーズまとめ 原典解説
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このシリーズでわかること

・「リンダ問題で85%が間違える」という有名な数字が、どんな条件で出た数字なのか
・「被験者はそもそも確率の話をしていなかった」という反論が、その数字に何をしたのか
・対立した当人どうしが手を組んで決着をつけにいき、それでも決着しなかった話

30秒でわかる連言錯誤

「リンダは銀行員である」より「リンダは銀行員で、かつフェミニスト運動に参加している」のほうが起こりやすい——論理的にありえないこの判断は、連言錯誤と呼ばれます。

ただしこの数字には、その後20年近い論争がありました。Hertwig & Gigerenzer (1999) は「被験者は確率の話をしていなかっただけだ」と反論し、問いの語を「確率」から「頻度」に変えると違反が大きく減ることを示します。そして2001年、対立していた Hertwig と Kahneman 自身が、中立の第三者を立てて事前に予測を記録する敵対的協働で決着をつけにいきました。

結果は、どちらの予測も部分的に外れました。動いていたのは「頻度形式かどうか」ではなく、比べる相手が視界にあるかどうかだったのです。

このシリーズは、通説の一行ではなく原典3本を順に読み、「どこまで言えて、どこから言えないのか」を切り分けます。

このシリーズについて

狙い:リンダ問題は、有名になりすぎて紹介が1本化した実験の典型です。「人間は確率が苦手」という一行で終わる要約と、原典3本が実際に示したことのあいだには、無視できない距離があります。このシリーズはその距離を測ります。

対象読者:連言錯誤の名前は知っているけれど、「で、あの85%ってどういう条件の数字なの?」で止まったことがある人。行動経済学の紹介記事に食い足りなさを感じている人。

読む順第1回→第2回→第3回の順を推奨します。第2回は第1回への反論、第3回は第2回への応答なので、順番に読むと論点が2回動くのが見えます。ただし関心別の入口もあります。

  • 現象そのものと有名な数字を知りたい → 第1回
  • 「その解釈、おかしくない?」という批判の作法に興味がある → 第2回
  • 研究者どうしの論争がどう進む(進まない)のかに興味がある → 第3回

シリーズ全体の見取り図

#記事扱う原典キーワードこんな人はここから
1リンダ問題と連言錯誤|「確率」と「代表性」を引き剥がすTversky & Kahneman (1983)連言錯誤、代表性ヒューリスティック、外延的手がかり現象と「85%」の正体をまず知りたい
2リンダ問題への反論|「確率」→「頻度」で錯誤は消えるHertwig & Gigerenzer (1999)語の多義性、頻度形式、意味推論仮説有名な実験の解釈を疑う手つきを見たい
3リンダ問題の敵対的協働|頻度形式では連言錯誤は消えなかったMellers, Hertwig & Kahneman (2001)敵対的協働、ダミー項目、暗黙の比較論争がどう決着する(しない)かを見たい

各記事の簡単まとめ

第1回|リンダ問題と連言錯誤|Tversky & Kahneman (1983) で「確率」と「代表性」を引き剥がす

連言錯誤という現象を提示した原典です。人物描写のあとに「銀行の窓口係」と「銀行の窓口係かつフェミニスト運動に参加」の2文だけを比べさせると、142名中85%が連言のほうを選びました。論文の主張は「人は確率を計算していない。記述がどれくらい典型的に見えるか(代表性)を測っている」というもので、確率は詳細を足すと必ず下がるのに代表性は話の噛み合い次第で上がる、というズレが原因だと説明します。

見落とされがちなのは、この論文が同時に誤りを減らす方法も示している点です。「何%か」ではなく「100人中何人か」と聞き、構成要素を先に推定させると、誤答率は65%から11%まで下がりました。

→記事を読む:リンダ問題と連言錯誤|Tversky & Kahneman (1983) で「確率」と「代表性」を引き剥がす

第2回|リンダ問題への反論|Hertwig & Gigerenzer (1999)「確率」→「頻度」で錯誤は消える

「そもそも被験者は何に答えていたのか」を確かめた論文です。被験者に「probability をどういう意味で読んだか」を聞くと、数学的な意味で読んだ回答は自由記述で18%にとどまり、残りは「可能性」「合致」「当てはまり」といった非数学的な読みでした。語を「頻度(100人のうち何人)」に変えると、実験3では違反が0%になります。

さらにこの論文は、第1回の説明の一部を実験4で直接崩します。外延的手がかりをすべて入れたまま語だけ「確率」に戻すと、違反率は67%まで戻りました。ただし論文自身、頻度効果のおよそ半分は答えさせ方(順位づけか人数推定か)で説明されると断っています。

→記事を読む:リンダ問題への反論|Hertwig & Gigerenzer (1999)「確率」→「頻度」で錯誤は消える

第3回|リンダ問題の敵対的協働|Mellers, Hertwig & Kahneman (2001) 頻度形式では連言錯誤は消えなかった

対立していた Hertwig と Kahneman が、中立の第三者(Mellers)を立て、「どんな結果が出たらどちらの主張が支持されるか」を事前に記録してから実験した記録です。頻度形式に固定したまま、ダミー項目(本来は答えに影響しないはずの選択肢)の数と言い回しだけを動かしました。

結果、ダミー1個では効果が出て両者の予測が外れ、ダミーなしでは「and are」「who are」で効果が消え、ダミー5個+順位づけでは復活しました。動いていたのは頻度形式ではなくダミーだった、というのがこの論文のいちばん大きな発見です。そして両者の解釈は、最後まで一致しませんでした

→記事を読む:リンダ問題の敵対的協働|Mellers, Hertwig & Kahneman (2001) 頻度形式では連言錯誤は消えなかった

論争の振り子

振り子の一往復目:現象 → 問いの疑い

1983年の論文は、違反を代表性ヒューリスティックで説明しました。確率は詳細を足すほど下がるのに、代表性は話の噛み合い次第で上がる。この非対称がズレを生む、と。そして違反は外延的手がかり(包含関係に気づかせるヒント)を入れると減る、と報告します。人数形式と構成要素の先行推定を組み合わせると、誤答率は65%(N=147)から11%(N=360)まで下がりました。

1999年の論文は、その説明の足場を外しにいきます。外延的手がかりをすべて入れたまま、語だけ「確率」に戻すと67%が違反した(実験4)。つまり効いていたのは手がかりの有無ではなく語のほうだ、という反証です。さらに、典型性を先に聞くと違反が88%から59%へ、発話思考を足すと27%まで下がりました(実験2)。

振り子の二往復目:頻度形式 → 比較対象

2001年の敵対的協働は、この対立を実験で裁こうとしました。頻度形式に固定したまま、動かしたのはダミー項目の数と言い回しだけです。

言い回し実験1(ダミー1個)実験2(ダミーなし)実験3(ダミー5個+順位づけ)
and
and are×(消失)◯(復活)
who are×(消失)

推定人数(100人中)で見ると、「銀行員」24.6に対して「銀行員 and are フェミニスト」は実験1で40.2。ダミーをなくした実験2では21.4対21.8で差が消えます。ダミーを5個に増やした実験3では効果が戻りますが、戻り方が重要でした。連言の推定値が上がったのではなく、比較対象である「銀行員」が21.4から14.3へ下がったのです。

そして、ダミーがある条件では回答者の約3分の1が合計100人ちょうどで答えていました。誰も比べろとは言っていないのに、比べていた指紋です。

各論文の立場表

争点Tversky & Kahneman (1983)Hertwig & Gigerenzer (1999)
違反はなぜ起きるか確率ではなく代表性を測っているから「probability」が多義語で、非数学的な意味で読まれているから
どうすれば減るか外延的手がかり(人数形式・構成要素の先行推定)語を「頻度」に変える
相手の説明への評価外延的手がかり説を実験4で反証
現象そのものの存在提示した否定していない
代表性ヒューリスティック中核の説明否定していない

2001年の共同実験のあとも、両者の読みは分かれたままでした。第3回の記事では、この分岐を次のように整理しています。

争点Hertwig の読みKahneman の読み
基準状態頻度形式では誤りは起きないプロトタイプ表象が支配している
多義性の役割重要だが、比較下では従次的棄却された
実験2で「and are」が消えた理由多義性が除かれたから熟慮的・分析的モードへ切り替わったから
ダミーの役割中身次第で効果を自在に出せる暗黙の比較指示として働く

合意できたのは「ダミーの有無が暗黙の比較モードを起動する」「比較的な文脈と非比較的な文脈では別の心理過程が働く」という水準まで。なぜそうなるのかは、事前に決着のつけ方を設計してもなお決着しませんでした。

よくある疑問・モヤモヤ Q&A

Q1. 結局、連言錯誤は「ある」んですか、「ない」んですか?

【論文が言える範囲】 現象そのものは、3本とも否定していません。第2回の Hertwig & Gigerenzer も、違反という現象の存在と代表性ヒューリスティックの働きは否定していないと明示しています。2001年の共同実験でも、条件が揃えば効果は繰り返し現れました。

【言えない・注意】 「人間は確率が苦手だ」という一般命題の証拠としては、1999年以降そのままでは使いにくくなりました。違反率は語・提示形式・選択肢の並びで大幅に動きます。

【関連記事】 第2回(Hertwig & Gigerenzer 1999)第3回(Mellers, Hertwig & Kahneman 2001)

Q2. 「85%が間違える」という数字は、そのまま信じていいですか?

【論文が言える範囲】 Tversky & Kahneman (1983) の、人物描写のあとに「銀行の窓口係」と「銀行の窓口係かつフェミニスト」の2文だけを比べさせた条件で、N=142の85%です。

【言えない・注意】 同じリンダ問題でも、「フェミニストかどうかは問わない」と明示した版では57%、統計コース履修者では36%。第1回の記事でも、85%は提示形式と被験者属性に条件づけられた値だと整理しています。

【関連記事】 第1回(Tversky & Kahneman 1983)

Q3. 「何%か」ではなく「100人中何人か」と聞けば、錯誤は消えますか?

【論文が言える範囲】 大きく減ります。第1回の心臓発作課題では、人数形式+構成要素の先行推定で65%→11%。第2回の実験3では違反が0%になりました。

【言えない・注意】 「消える」とまでは言えません。第3回は頻度形式のまま、ダミー1個・ダミー5個の条件で効果を再現させています。効いているのは頻度という形式そのものではなく、比較対象が視界にないことでした。

【関連記事】 第1回(Tversky & Kahneman 1983)第2回(Hertwig & Gigerenzer 1999)第3回(Mellers, Hertwig & Kahneman 2001)

Q4. 代表性ヒューリスティックは否定されたんですか?

【論文が言える範囲】 否定されていません。第2回の論文が退けているのは「確率規範だけで人の推論を採点する方法論」「外延的手がかりによる説明」「リンダ問題の結果をそのまま人間の推論のバグの証拠とすること」であって、代表性そのものではありません。

【言えない・注意】 ただし第2回の実験1では、典型性・類似性に言及した回答は16%にとどまりました。違反のすべてを代表性だけで説明する読みには、この結果が留保をつけています。

【関連記事】 第1回(Tversky & Kahneman 1983)第2回(Hertwig & Gigerenzer 1999)

Q5. ダミー項目(フィラー)って、そんなに大事なものなんですか?

本来は答えに影響しないはずの「捨て問」です。ところが第3回では、ダミーを0個にすると「銀行員 and are フェミニスト」の連言効果が消え(21.8 対 銀行員21.4)、ダミーを5個に増やすと復活しました(22.8 対 銀行員14.3)。しかも復活の仕方は、連言の推定値が上がったのではなく比較対象の「銀行員」が下がった、というものでした。実験デザインの脇役だと思われていた変数が、20年の論争の主役だったことになります。

→第3回で詳しく:リンダ問題の敵対的協働|Mellers, Hertwig & Kahneman (2001)

Q6. 専門家なら引っかからないのでは?

第1回の実験3では、1982年の国際予測学会に集まった職業的予測者115名が、「米ソの国交断絶」を0.14%、「ソ連の侵攻があり、その結果として国交が断絶」を0.47%と推定しました。後者は前者に含まれるのに、3.4倍高く見積もられています。第1回の記事では、医師103名でも平均違反率が91%だったことにも触れています。領域の知識は防波堤になりません。

→第1回で詳しく:リンダ問題と連言錯誤|Tversky & Kahneman (1983)

Q7. 「敵対的協働」はうまくいったんですか?

結果だけ見れば、きれいには決着していません。実験1では両者の予測が外れ、実験2では Hertwig の予測が当たり、実験3では Kahneman の予測が当たりました。合意できたのは「ダミーの有無が暗黙の比較モードを起動する」という水準までで、なぜそうなるかの解釈は割れたままです。第3回の執筆後記では、10年後に Kahneman 自身がこの試みを「無駄に終わっている」という趣旨で片付けていた、という後日談も扱っています。それでも、誰も見ていなかったダミーという変数が浮かび上がった点では、論争は前に進みました。

Q8. 日常で気をつけるとしたら、何をすればいいですか?

第1回の実践的な含意は「詳しくて筋の通ったシナリオほど、実際に起こる確率は低いかもしれない」です。詳細を足すと確率は必ず下がるのに、話の完成度は上がる。この非対称が判断を引きずります。

そして有効な対策は「詳しい話を疑え」という心構えではなく、形式を変えることでした。「何%か」を「100件中何件か」に言い換える、条件を段階的に分けて推定する。これだけで65%が11%になっています。

Q9. 子どもや家族の話に置き換えると、どうなりますか?

「うちの子は算数が苦手」より「うちの子は算数が苦手で、でも国語は得意」のほうが“ありそう”に聞こえるなら、それは確率ではなく物語の噛み合いを測っているサインかもしれません。詳しい人物像ほど納得しやすいのは、リンダ問題と同じ構造です。

ただしこれは射程の外側にある応用です。3本の論文が示したのは集団レベルの判断傾向であって、特定の子どもや家庭の何かを診断するものではありません。使うなら「自分の見立てが詳しすぎないか」を点検する道具として、が妥当な範囲です。

このシリーズのまとめ

・連言錯誤という現象は、3本とも否定していない
・ただし「85%が間違える」は、提示形式と被験者属性に条件づけられた数字
・語を「頻度」に変えると違反は大きく減るが、それだけでは消えない
・消えるのは、言い回しの多義性がなく、比較対象が視界になく、比較的思考が起動しないときだけ
・その解釈は、当人どうしが手を組んでも一致しなかった

参考文献(シリーズ共通・回ごと)

第1回

第2回

第3回

  • Mellers, B., Hertwig, R., & Kahneman, D. (2001). Do frequency representations eliminate conjunction effects? An exercise in adversarial collaboration. Psychological Science, 12(4), 269–275. https://doi.org/10.1111/1467-9280.00350

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