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確証バイアスと極化|同じ証拠を読んでも差が開く理由(Lord 1979)

確証バイアス 第3回 Lord, Ross & Lepper (1979) Journal of Personality and Social Psychology 原典解説
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この記事でわかること

  • 死刑の抑止力に賛成の人と反対の人が、まったく同じ2つの研究を読むと、研究の「出来」の評価がどう分かれたか
  • 賛否の混ざった証拠を読み終えたあと、両者の意見は歩み寄ったのか、離れたのか
  • 結果だけを読んだときと、手続きや批判まで読んだときで、何が変わったのか
  • 「意見が極化した」という結論に、著者自身がどんな留保をつけているのか

この記事は、確証バイアスの原典をたどるシリーズの第3回です。第1回では Wason の2-4-6課題と4枚カード問題で、人が自分の仮説を壊しに行かないことを見ました。第2回では Snyder & Swann (1978) の面接実験で、仮説を確かめるための質問が、相手の答えまで仮説の方向に寄せてしまうことを見ました。今回は同じ証拠の「読み方」の偏りを扱います。


導入:あなたなら、どちらの研究を信じますか

先に断っておくと、本記事は死刑の是非を論じません。死刑は、この論文が「意見の強く分かれる社会問題」の例として選んだ題材です。まずは、論文の参加者と同じ立場に立ってみてください。

まず、2枚のカードを読んでみてください

問1. 死刑には、殺人を減らす効果(抑止力)があると思いますか。「ある」「ない」「わからない」のどれかで、直感で答えてください。

次に、死刑の抑止力を調べた2つの研究の「結果カード」を読みます。

カードA:ある研究者たちは、14の州で、死刑を導入する前の年と後の年の殺人率を比べた。14州のうち11州で、導入後に殺人率が下がっていた。この研究は、死刑の抑止力を支持している。

カードB:別の研究者たちは、死刑制度の異なる隣り合った州を10組選び、殺人率を比べた。10組のうち8組で、死刑のある州のほうが殺人率が高かった。この研究は、死刑の抑止力に反している。

問2. AとBでは、どちらが「よくできた研究」に見えますか。

問3. それぞれの研究に、弱点を1つずつ挙げてみてください。

答えはメモでも頭の中でもかまいません。記事の最後で、もう一度ここに戻ってきます。

ヒューマン
ヒューマン

俺は「抑止力はある」派やな。ほんでAのほうがちゃんとしてる気がするわ。導入の前と後で比べとるんやろ。Bは、隣の州いうても事情が違うやろうし。

エコノ
エコノ

なるほどな。ほな聞くけど、Aが「前の年と後の年」の1年ずつしか比べてへんとこは、気にならへんかった?

ヒューマン
ヒューマン

……言われてみたら、1年だけやな。けど、それ言い出したらキリないやん。

エコノ
エコノ

そこや。今あんたは、Bの弱点は自分から見つけて、Aの弱点は言われても「キリない」で流した。この論文が調べたんは、まさにその「弱点の探し方」なんや。

用語の定義と原典:「偏った同化」と「態度の極化」

今回の論文の中心にある言葉は2つです。

偏った同化(biased assimilation):新しい証拠を、自分がすでに持っている信念に合わせて取り込むこと。信念に合う証拠はそのまま受け入れ、合わない証拠は厳しく吟味して割り引きます。

態度の極化(attitude polarization):立場の違う人たちが同じ証拠に触れたあと、歩み寄るどころか、互いの差が広がることです。

著者たちの予測は、前者が後者を生むというものです。賛否の混ざった、決め手に欠ける証拠を両陣営に見せれば、常識的には意見は穏やかになるか、少なくとも変わらないはずです。ところが両陣営が、自分に都合のよい側だけを確かな証拠として取り込むなら、差はかえって開くわけです。

なお、この論文が使う中心の言葉も「確証バイアス」ではなく biased assimilation です。本シリーズでは、ここまでの現象をひとまず暫定的に確証バイアスと呼び、第4回でこのラベルそのものを見直します。

今回読んでいく原典はこちらです。

Lord, C. G., Ross, L., & Lepper, M. R. (1979). Biased assimilation and attitude polarization: The effects of prior theories on subsequently considered evidence. Journal of Personality and Social Psychology, 37(11), 2098–2109. https://doi.org/10.1037/0022-3514.37.11.2098

この論文の結論(先にいいます):死刑の賛成派と反対派に同じ2つの研究を読ませると、どちらも自分の立場に合う研究を「よくできていて説得力がある」と評価しました。そして賛否の混ざった証拠を読み終えたあと、賛成派はより賛成に、反対派はより反対になったと報告しました。

実験の構成

実験の組み立ては次のとおりです。「同じ2つの研究を、立場が正反対の2グループが、2段階に分けて読んだ」という骨組みだけを押さえてください。

【参加者】
大学生48人。事前に151人へ死刑についての質問紙を配り、その中から立場のはっきりした人を選んだ。賛成派24人(死刑に賛成し、抑止力を信じ、研究の大半も自分の側を支持していると考える)と、反対派24人(その逆)

【読んだもの】
死刑の抑止力についての架空の研究2本。1本は抑止力を支持し、1本は否定する。参加者には「20本の研究から無作為に選んだ2本」と説明した

【読み方】
研究ごとに2段階。①結果カード(導入のカードA・Bのような短い要約)→ ②詳細(手続き、データの表とグラフ、その研究への主な批判と、研究者の反論)

【測ったこと】
各段階で、死刑への賛否と抑止力への信念が変わったか(−8〜+8の16段階)。詳細を読んだあとは、研究の出来(どれだけうまく行われたか)と、抑止力の証拠としての説得力も評価した

【統制】
抑止を支持する研究を先に読む人と後に読む人を半々にした。さらに「前後比較」と「隣接州比較」のどちらの手法が抑止支持の結果を出すかも、入れ替えた2セットの材料を用意した

導入のカードA・Bは、この実験で使われた結果カードをもとにしたものです。研究はどちらも架空です。著者たちは、当時の判決などで引かれていた研究に似せて作ったと書いています。

結果①:同じ研究の「出来」が、立場で逆転した

まず、詳細まで読んだあとの研究の評価です。表では、同じ研究に対する賛成派と反対派の評価が、プラスとマイナスで入れ替わっているところを見てください(+8が最高評価、−8が最低評価)。

【研究の出来の評価】

研究賛成派反対派
抑止力を支持する研究+1.5−2.1
抑止力を否定する研究−1.6−0.3

【証拠としての説得力】

研究賛成派反対派
抑止力を支持する研究+1.4−2.1
抑止力を否定する研究−1.8+0.1

賛成派は抑止を支持する研究を、否定する研究よりはっきり説得力があると評価し(p<.001)、反対派はその逆でした(p<.01)。研究の出来についても同じ形です。そして、評価を分けたのは研究の手法ではなく、研究の結論が自分の立場と合っていたかどうかでした。前後比較の研究が抑止を支持するセットでも、隣接州比較の研究が支持するセットでも、この形は変わりません。

数字より雄弁なのが、参加者が書いたコメントです(Table 2)。反対派の参加者のコメントを、手法ごとに並べてみます。

【隣接州比較】

その手法が出した結論反対派のコメント(要約訳)
抑止力を否定(S35)州は無作為に選ばれているので、全国の平均的な効果がわかる
抑止力を支持(S25)10州は無作為に選ばれている。これがこの研究の最大の問題だ

【前後比較】

その手法が出した結論反対派のコメント(要約訳)
抑止力を否定(S38)同じ州をその州自身と比べているので、かなりよい指標だと思う
抑止力を支持(S35)死刑再導入の前後1年ずつしか見ていない。少なくとも10年分はとるべきだ

隣接州比較では、同じ「州を無作為に選んだ」という特徴が、自分に都合のよい研究では長所になり、都合の悪い研究では「最大の問題」になっています。前後比較も同じ形で、同じ州の前と後を比べるという手法が、都合のよい研究では「かなりよい指標」と評価され、都合の悪い研究では「前後1年ずつしか見ていない」と批判されています。

ヒューマン
ヒューマン

うわ、同じとこ褒めたりけなしたりしとるやん。しかも同じ反対派どうしで。

エコノ
エコノ

せやねん。しかも本人らは手ぇ抜いてへん。「1年じゃ短い、10年は見るべきや」なんて、批判としてはまっとうやろ。

ヒューマン
ヒューマン

まっとうなんが、かえってタチ悪いな。

エコノ
エコノ

そういうこっちゃ。まっとうな批判の道具を、片方の研究にだけ向けとる。道具そのものは正しいから、本人には偏ってる自覚がないんや。

結果②:混ざった証拠を読んだら、差が開いた

ヒューマン
ヒューマン

評価が割れるんはわかった。けど、両方読み終わったら、さすがにちょっとは歩み寄るやろ? 支持する研究も否定する研究も、1本ずつ読んだんやから。

エコノ
エコノ

普通はそう思うわな。これがこの論文の本命の問いや。

2つの研究は、一方が抑止を支持し、一方が否定する混ざった証拠です。公平に読めば、両陣営は歩み寄るか、少なくとも動かないはずです。しかし、実験の最後に開始時と比べて死刑への考えがどう変わったかを尋ねると、

賛成派は「より賛成になった」(p<.001)、反対派は「より反対になった」(p<.01)

と答えました。抑止力への信念も同じ形で、賛成派は抑止力をより信じるように、反対派はより疑うようになっています(どちらも p<.001)。ここでの「より賛成になった」は、参加者自身が「開始時より賛成になった」と答えた値です。

さらに、2つの研究の評価に大きな差をつけた人ほど、意見の動きも大きいという関係がありました(説得力の評価の差と態度変化の相関 r=.56、出来の評価の差とも r=.56)。研究を片寄って評価した人ほど、極化している。偏った同化が極化を生む、という著者たちの予測と合う結果です。

ヒューマン
ヒューマン

同じもん読んで、両方とも「やっぱり俺が正しかった」って帰っていったわけか。

エコノ
エコノ

そうや。しかも両方とも、ちゃんと証拠を読んだうえでや。読まんかったから偏ったんやない。読んだから差が開いたんや。

結果③:結果だけなら同じ向きに動く。大きく割れるのは「詳細」を読んでから

ここからが、私がこの論文でいちばん面白いと思うところです。この実験では、研究ごとに「結果カードだけ」の段階と「詳細と批判まで読んだ」段階を分けて、そのつど意見の変化を尋ねていました。段階ごとに分けると、極化がどこで起きたのかが見えます。

図では、左右それぞれ「結果だけ」の2本と「詳細・批判を読んだ後」の2本を見比べてください。

1つの研究を読んだあとの死刑への賛否の変化(Lord, Ross & Lepper, 1979, Table 3)。抑止力を支持する研究:結果だけでは賛成派+1.3・反対派+0.4、詳細を読んだ後は賛成派+0.8・反対派−0.9。抑止力を否定する研究:結果だけでは賛成派−0.7・反対派−0.9、詳細を読んだ後は賛成派+0.7・反対派−0.8

結果カードだけを読んだ段階では、賛成派も反対派も、研究の結論の方向に動いていました。抑止を支持する結果を読めば両者とも賛成の方向へ、否定する結果を読めば両者とも反対の方向へ(全員をまとめた検定で、どちらも p<.001)。動く大きさは立場で違い、賛成派は支持する結果に、反対派は否定する結果により大きく動いていますが、向きは同じです。ただし動く大きさが違うため、2枚の結果カードを合計すると、この段階でもすでに賛成派と反対派の差は有意でした。差が大きく開くのは、その先です。

ところが、手続きの詳細と批判、反論まで読むと様子が変わります。死刑への賛否で見ると、賛成派は、抑止を否定する研究の詳細を読んだあとでも賛成の方向へ(+0.7)、反対派は、抑止を支持する研究の詳細を読んだあとでも反対の方向へ(−0.9)動きました。

時間を追って見ると、参加者は一度引っ張られて、元に戻っています。自分の立場に反する結果カードを読んだ直後は、その結論の方向にいったん引っ張られます。けれど詳細と批判を読むと元の考えに戻り、個人単位では23%のケースで、元の位置よりさらに極端な側まで戻っていました。反対に、自分の立場を支持する研究では、結果カードで動いた分が詳細を読んで元に戻るという有意な動きは見られませんでした。

ヒューマン
ヒューマン

え、ちょっと待って。結果だけ見せたら、反対派もちゃんと賛成のほうに動いとるやん。人間、案外素直やな。

エコノ
エコノ

せや。データそのものには、人はちゃんと動かされとる。割れるんはその先や。

ヒューマン
ヒューマン

ほな、詳細を読んだらなんで戻ってまうん? 情報が増えたら、むしろ正確になりそうやけど。

エコノ
エコノ

詳細には、どんな研究にも突っ込みどころが入っとるからや。この実験では、手続きと一緒に「よく出る批判」まで渡されとる。都合の悪い研究を読むときは、その批判が「ほら、やっぱりな」の材料になる。都合のええ研究を読むときは、同じような批判が「細かいことや」で済まされる。

ヒューマン
ヒューマン

細かいストーリーを聞くほど、都合のええとこをつまみ食いしだすんか。めちゃくちゃ人間っぽいな。

偏りは不合理なのか:偏った評価そのものは「罪」ではない

ここで著者たちは、意外な問いを立てます。そもそも参加者の偏りは不合理なのか(「規範上の問題」の節)。

著者たちによれば、自分の理論に合う研究を、合わない研究より信頼できると考えること自体には、文句のつけようがありません。光の速さの「正しい答え」がわかっている物理学者が、新しい測定法を、正しい答えを出せば受け入れ、間違った答えを出せば退けるのは、偏ってはいても適切です。

では、参加者の何が問題だったのか。著者たちはこう続けます。

“their sin lay in their readiness to use evidence”
(要旨)彼らの罪は、偏ったやり方で処理し終えた証拠を、そもそもその偏った処理を「正当化」していた理論や信念そのものの補強に、すぐ使ってしまったところにある。

評価の段階で信念を使ったのなら、その証拠はもう信念から独立した裏づけではありません。それを裏づけに数えるのは、私の言葉で言えば二重取りです。著者たちはこの循環を、仮説が反証できなくなる危険だと言います。第1回で見た「仮説を壊しに行かない」が、ここでは「壊れそうな証拠を、壊れない証拠に読み替える」形で現れています。

ヒューマン
ヒューマン

偏った目で選んだ証拠で、その目が正しいって証明しとるわけか。自作自演みたいなもんやな。

エコノ
エコノ

近いな。ただ、本人に自作自演の自覚はない。そこがやっかいなとこや。

「理論に照らした偏りは、それだけでは誤りではない」という著者たちの言い分は、確証バイアスはそもそも誤りなのか、という問いにつながっていきます。→ 第4回で深掘りします。

まとめ:同じ証拠で差が開く

この記事のまとめ

言えること

  • 死刑への賛否がはっきりした人は、同じ研究でも、自分の立場に合う研究の出来と説得力を高く、合わない研究を低く評価した
  • 賛否の混ざった証拠を読み終えたあと、賛成派は「より賛成に」、反対派は「より反対に」なったと報告した
  • 結果カードを1枚ずつ見ると両派とも研究の結論の方向に動き、差が大きく開いたのは詳細と批判を読んだあとだった

言えないこと

  • 意見が「本当に」極端になったとまでは言えない(本人が答えた変化であり、著者自身が留保している)
  • 「自分の信念に照らして証拠を評価すること」自体が不合理だとは言えない(著者たちはこの見方を退けている)

日常への接続:あなたが「弱い」と感じたのは、どちらでしたか

導入の課題に戻ります。問1で「抑止力はある」と答えた人は、カードAのほうがよくできた研究に見え、カードBの弱点のほうが先に浮かんだのではないでしょうか。「ない」と答えた人は、その逆だったかもしれません。カードAの「前後1年ずつしか見ていない」も、カードBの「隣の州でも事情が違う」も、どちらも立派な批判です。違うのは、その批判をどちらの研究に向けたか、です。

「わからない」と答えた人は、どちらも同じくらいに見えたかもしれません。この実験の参加者は、立場のはっきりした人だけでした。信念の弱い人に同じことが起きるかは、この実験からはわかりません。

結果③の形は、身近なところにもありそうです。例えばですが、SNSで見出しだけを読んだときは「へえ、そうなんだ」と少し考えが動いたのに、記事の本文やリプライ欄の反論まで読むと、結局もとの考えに戻っている。人を動かしたのは見出しの結論で、元に戻したのは詳細のつまみ食いだった、という場面です。

論文の最後で、著者たちは社会科学者に向けてこう書いています。決め手に欠ける研究しか出せない社会問題では、研究は論争の火を鎮めるより、むしろ燃え立たせることが多いだろう。データを出せば合意に近づく、という期待そのものに、この論文は待ったをかけています。

執筆後記──データを見ない上司

この論文を読んで最初に思い出したのは、職場の上司のことでした。

私がちょっとした提案を持っていくと、データがざっくりしていても通ります。通るどころか、上司はもはやデータを見ていないのではないかと思うことすらあります。資料をめくる手が、必要なページで止まらないのです。

ここからは論文の外の話です。Lord たちは研究者を架空にして、「誰がそのデータを出したか」という要素を実験からほぼ消しています。現実には、そこに話し手への信頼が乗ります。

上司が私のデータを見ないのは、データの出来を評価した結果ではないのだと思います。日頃の付き合いのなかで積み上がった信頼残高のようなものが、データの吟味を省かせているわけです。論文の言葉を借りれば、私の資料は「額面どおりに受け入れられる」側に入っているのでしょう。逆に、同じくらいのデータでも、話す人によってはまったく聞いてもらえない場面も見たことがあるのではないでしょうか。

ありがたい話である一方で、少し怖くもあります。私のざっくりしたデータは、データとしての出来で通っているわけではないからです。

それでも、人に何かを動かしてもらおうとするとき、データの質だけを磨けば足りるとは、私には思えません。この論文が示したのは、どんなデータも受け取る側の信念を通って読まれる、ということでした。だとすれば、データを出す前に、そのデータを聞いてもらえる関係をつくっておくこと。日頃の付き合いという、論文には出てこない地味な部分も、たぶんデータの一部なのだと思います。

補足事項

結果②の極化は、実験の前と後に同じ尺度で測った差ではなく、参加者に「開始時と比べてどれだけ変わったか」を答えてもらった値です。参加者の多くが尺度の端かその近くにいて、前後の差では変化を測れなかったためです(脚注1)。

著者たち自身も「極化は本物か、報告されただけか」という節を設け、参加者が「新しい証拠を読んだのだから、これくらい変わったはずだ」と思った分を報告しただけという可能性を、退けきれないと認めています。そのうえで、両陣営がどちらも同じデータで自分の立場を「客観的に」正当化できると信じたこと自体は、偏った同化の実証だとしています。

著者たち自身も、立場がそれほど極端でない参加者で確かめることや、偏った同化が実際の行動にまで表れるかを見ることを、今後の課題として挙げています。本記事は原典の範囲にとどめます。なお、結果①の評価の逆転は研究を直接評価した値なので、この但し書きの影響は受けにくい部分です。

著者たちは、前後比較と隣接州比較という2つの手法について、どちらが抑止を支持する結果を出すかを入れ替えた2セットの材料を用意しています。どちらのセットでも、評価は「研究の結論」と「読む人の立場」の組み合わせで決まりました。手法と結果の向きの組み合わせによる差は見られず、分析ではセットをまとめています(脚注3)。研究そのものの質の差では説明しにくい設計です。

実験全体を通した極化には、読む順番の効果も、順番と立場の交互作用も見られませんでした。

ただし、結果カードだけの段階の抑止力への信念では、予想していなかった交互作用が1つ出ています。賛成派は順番に関係なく2枚の結果カードに差をつけて反応したのに対し、反対派が差をつけたのは、自分の立場に合う研究(抑止を否定する研究)を先に読んだときだけでした。著者たちはこれを予想外の結果として報告するにとどめています。

その傾向は少しありました。「出来」の評価では、反対派のほうが2つの研究をまとめて低めに評価していました(p<.05)。ただし「説得力」の評価ではこの差は有意ではなく、どちらにしても、研究の結論によって評価がひっくり返る形は変わりません(脚注5)。

違います。著者たちの言う「混合」は、一方が抑止を支持し、もう一方が否定する、という結果の組み合わせのことです(脚注6)。参加者は立場にかかわらず2つの結果が食い違っていることは認識していましたが、2つを同じくらい確かな証拠だと感じていたわけではありません。それがまさに結果①です。

参考文献

  • Lord, C. G., Ross, L., & Lepper, M. R. (1979). Biased assimilation and attitude polarization: The effects of prior theories on subsequently considered evidence. Journal of Personality and Social Psychology, 37(11), 2098–2109. https://doi.org/10.1037/0022-3514.37.11.2098

確証バイアスの原典シリーズ一覧

この記事はシリーズ「確証バイアスの原典をたどる(全5回)」の3本目です。

原典で殴るシリーズ(薄味まとめに飽きた人向け)

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